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2009/3/28(土)

どのように考えても自信が持てないこの不況時代への対処

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アメリカの旺盛な消費力に支えられて来た世界経済が
そのアメリカの金融破綻によって一挙に冷え込み
世界中で現金の動きが鈍化しています。

消費に支えられて経済が発展して来たのに
その消費が冷え込んで世界各国で生産が抑制され
企業の収益が減り、従業員の収入も減り、
従って更に消費が冷え込むと言う、
消費」に対して歯車が逆回転しています。

これを避けるため
政府は定額給付金を支給したり
中小企業への融資枠を広げたり
緊急補正予算を組んだりと
あれこれと手を打っています。

この時代、一個人として対峙する時、
モノを買わずに質素に暮らすのがいいのか、
あるいは無理をしてでも消費に回すのがいいのか
自信を持てる対処法が見つかりません。

今回の定額給付金にしても
これを消費に回さなければ政府の目的を達成できないと分かっていても
貯蓄や返済に回してしまう人も少なからずいるのかと想像しています。



モノ作り立国の日本、
消費が冷え込んでは日本そのものが危機に立ちます。
日本国民全体が質素倹約の姿勢を通せば
製造業が益々冷え込み、
必要なのは食料品と生活消耗品だけなどとなりかねません。
いわゆる「無くても間に合うモノ」は売れなくなります。

その影響はやがては自分や身内に及びます。
伊勢崎市や群馬県東毛地区では製造工場が多く
そこで働く人々の収入に打撃を与えます。
最近、伊勢崎市内の日立製作所が工場を閉鎖して茨城に統合すると発表し
他にもサンデンや三ツ葉電気(桐生)、富士重工(太田)など
自動車関連業が多く、各企業がこの事態を切り抜けるために
リストラや賃金カット、ボーナス不支給などの対策
を取ったと聞いています。
伊勢崎市周辺の人ならば、本人や身内、知人の誰かが
これらの企業に勤めているのではないでしょうか。

とは言え、
各自が財布の紐を締めることが
やがてはこのように連鎖する事は理解できても
手持ちの現金や預貯金を崩して消費してしまうと、
収入が減少している昨今、現金が底を突いて、
自分自身が路頭に迷う不安が付きまといます。




他人の財布を心配しても仕方ありませんが
マイクロソフト社を興したビルゲイツの資産は5兆円を超えているとか。
このような巨額の資産家は既に一般人の金銭感覚は持っていないでしょうから、
世界中の資産家達がその現金を市場へばら撒く
と言うのも一案かも知れません。
(本人達は絶対に反対するでしょうが・・・)
他人所有の財産に関心を持っては犯罪を誘引しますので
これは冗談としても、

消費に対する自分自身の消極姿勢が
廻り回って自分の首を絞めてしまうこのメビウスの帯のようなサイクル。
このすっきりしない気分が益々ストレスの原因になっています。

この時代を切り抜けるための

これが正解!

と言う対処法がないものでしょうか?


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2009/3/27(金)

不況時代、どんな仕事でもありつければ幸運

世間に共通な話ですが
どんな仕事もかつて終わらなかった事はありません。

首尾よく終えて満足したか、
不手際が多くて後悔を残したか
それは様々ですが、
どんな仕事も必ず終わります。

仕事を始める前に
「うわぁ〜、難しそうだなぁ」
「面倒臭そ〜」
「細かい仕事だ〜」
「忙しくなるぞ」
・・・と
どんなに愚痴や不平不満を漏らしても
やってさえいれば、いつかは終わります。
でも、やらなければ終わりません(当たり前?)




実は・・・

今、毎日、毎夜、細かい仕事で大忙しです。
難しくはないのですが、細かくて量がある仕事です。
約1,100枚の重要な図面を
0.1mmのロットリングペンで修正し、
ボードやラベルを貼り付けて
古い図面と差し替える仕事です。
CADの時代ですが、この仕事は原本を手書きで修正しなければなりません。
難易度は低いものの根気を要する仕事です。

忙しい状態がかれこれ2ヶ月半続いています。
1枚に要する時間をざっと1時間としても
全体で1,100時間です。
定時で1ヶ月160時間とすると6人月強の仕事ですが
年度末に急にそのマンパワーを用意はできず
結局、少人数で夜と休日の残業で補っています。
で、昼と夜と休日とやや不眠不休状態。
(ちょっとヘトヘト・・・)

材料費やコピー費用、労務費の事を考えると
ちょっと悲しくはなりますが、
でもやらなければ終わりません!

と、ここまでは愚痴でしたが、
(あ〜スッキリした)
この大不況時代、
派遣社員の契約打ち切り、企業の無給休暇制度の施行、
減給減俸、ボーナス不支給、早期退職勧告、
新卒の内定取り消し、工場閉鎖、組織の統廃合、ワークシェア・・・

と、不況が益々進んで
仕事がどんどん無くなっている状況です。

こんな時代、
どんな仕事でもありつければ幸運
と考えるしかありません。

と愚痴る気分を日々改め、ゴールを楽しみに作業を続け、
どうにか残り数日で完了となります。
(「ご苦労様でした」と自分を労う丸男です)



で、早速に気になるのが
年度が明けてからの仕事・・・・
世の中から仕事が激減しつつある今日、
どのように仕事を探せばいいのか大きな不安です。
まだ、仕事で忙しい時の悩みの方が気持ちが楽です。

「何とかなるさ」
と行ければいいのですが・・・



悩みが過ぎると今度は不安
人生、色々♪

2009/3/13(金)

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その日暮らしと言うのも不安ですが・・・

明日の事を憂うと今日の楽しさが消えて行く

日本の自殺者は平成10年に年3万人を越えて以後
ずっとその水準で推移しているとのことです。
諸外国の事情と比べても、
政治的混乱が続く国が上位を占める中にあって、
日本のこの状況は異常で、
政府もこの事態を由々しきことと認め、
自殺予防対策に力を入れるとのこと。

ところで自殺の原因を探ると、
失業率や倒産などと密接な関係があるとのことです。
職がないこと、不況であることが自殺原因になるとしたら
単純に個人の問題ではなく、
社会の問題であるとも言えます。



自殺原因が何であれ、
日本の社会は先進諸国の中でも
自分が置かれた不利な状況、弱い状況が
そのまま絶望に繋がってしまう傾向にある
のかと思います。

勝ち組とか負け組と言った視線
このような視線は弱者を追い込みます。




話が突然飛びますが
以前、テレビで多摩川の河川敷に住む
ホームレスの人々を取材していました。

手作りの屋根付きの小屋に住んでいたので
正確にはホームレスとは言わないのかも知れませんが、
ある人は都内にきちんとした自宅を持ちながらホームレス生活をしていて、
携帯持参でそこから仕事に出掛けていました。

また、他の年配ホームレスの人達は
河川敷に作った手作りハウスの入り口で、
空き缶拾いの仕事を終えた夕方、
缶ビールとつまみで一杯飲りながら
付近のホームレス仲間とお喋りして過ごし
これが日課とのこと。
悲しいと言うより楽しそうで、羨ましい風景でもありました。

また、大阪の公園に住む月収30万円ほどの30代の男性は
十分に自活力がありながら
同じ公園に住む、仕事にありつけない年配者の世話をしたりして
それが生甲斐でホームレスをしているとのことでした。
丸で親戚か家族のような関係です。

またある年配者は元大企業の管理職で、
取りあえず食事にあり付ければ
残りの時間は読書に明け暮れる日々でした。
それなりの身なりをして
駅のベンチで雑踏を眺めながら自若泰然として読書をしていました。

また別の番組では、60歳過ぎの元会社社長が
会社が倒産してホームレス
になり、
ある街で空き缶拾い等をして暮らしている様子を取り上げていました。
自治体では資源ゴミとして収集しているので、
その事とのぶつかり合いが番組の視点でしたが、
視点はともかく、その社長も元気一杯で頑張っていました。
収集した後を綺麗に片付けて掃除するので、
近所の主婦達からは歓迎され、
それがまた励みになっているとのことです。

彼らの多くが、見た目には悲痛な雰囲気ではありません
むしろ平和な感じでした。



ホームレス・三日もすれば止められない
と言う話も聞いたことがあります。



人間の価値観は様々です。
ホームレスになって逞しく生きている人もいます。
全てをなくしても、
明日の保障がなくても、
今日を生きています。


いや「全てをなくして」と言うのは一般的な視線に過ぎず
何かを放棄すれば、何か別の貴重なモノを得る
のかも知れません。



明日の事を憂う不安心は
きっと明日が来れば更にまた明日を憂う気持ちを誘い、
永遠に安心する「明日」は来ません

一方、「今日」が楽しければいいと言う発想は
その楽しい「今日」の積み重ねで、
結局、毎日が楽しくなります



「ホームレスに学べ!」
と言うつもりではありませんが、
命より大切なものなどこの世にありません。
社会が弱者に対して未成熟ならば
政府の対策や社会の変化を待っていないで
自分で逞しくなるのが一番の近道なのかと思っているところです。

2009/3/7(土)

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いつまでも存続するものは、
信仰と希望と愛と、この3つである。

いつまでも存続するものは、
信仰と希望と愛と、この3つである。
このうちで最も大いなるものは、愛である。



これは新約聖書の教えです。
私はキリスト教信者ではありませんが、
この「信仰」の部分を
何か信じるもの、信じられるもの
と置き換えれば、
人が生きて行くための普遍の教え
なのかと思っています。



ところで、最近の世相ですが
100年に一度の世界同時不況とのことで、
連日そのニュースが繰り返されていますが、
上の教えに立脚したとき
ニュースを聞けば聞くほど
「希望」が失われて行く感じがしています。

アメリカが不況の発信源である理由を探すとき
ドルが集まらなくなったから。
世界中から現金が動かなくなった、あるいは少なくなったから」
と説明する視点があります。
日本の経済対策も企業への緊急融資
分り易くは今話題の定額給付金など、
まさに
いつまでも存続するものは、
金と金と金、これだけである。

と、お金がないこと=不幸、
言い換えればお金が人々を幸せにする
と言っているかのようです。

貨幣経済の中で生きている現実、
お金が必須であることを否定はしませんが
それにしても
人間の幸・不幸の尺度がお金であるかのような世相の流れ
とても気になります。

億万長者の死後、
集まって来たのはその金を狙う人々だけだった
と言うのは物語の定番ネタで、
またアメリカでは、巨額な宝くじ当選者のほぼ全員が非業の死をとげた
と言う話も聞きます。



先週のNHKラジオ放送で、経済アナリストで獨協大学教授のM教授が
人間の身体と経済はとてもよく似ている。
ダメだ、ダメだと思っていると、本当にダメになって弱ってしまう

と言う趣旨の事を語っていました。

テレビのトーク番組やクイズ番組でもお馴染みのM教授は
それらの番組では司会者の突っ込みやいじり方のせいか
ちょっとズレたお笑いの部分を引き出されていますが
この日のコメントはとても分り易く納得できるものでした。



ところで我が家、この時期、ご近所の友達や身内から
春菊やネギ、ほうれん草、キャベツ、みず菜、白菜
など採りたて野菜
をいただきます。
皆さんの家庭菜園でできた貴重な野菜です。
家庭菜園と言いながら、手作りのミニハウスもある
素人離れした菜園です。

我が家でも暖かい時期になると、
レタスやパセリ、ピーマンなどは家庭菜園で賄います。
ユズは庭でなり、フキノトウは庭から出てきます。
時にはキュウリ、ナスも挑戦します(毎年失敗しますが・・・)。
バジルは毎年時期になると苗を届けてくれる身内もいて、
これまた幸せです。

時には自家製の特製漬け物もいただき、
「ウワッ!しょっぺぇ〜〜!」
と言いながら、その人を思いながら美味しくいただき、
これまた幸せです。

我が家からは、お礼を忘れた頃に、
カミさん特製のカレーやおいなりさん、煮物などを届けます。
やったり取ったりの時にはお喋り談議が付きもので、これがまた楽しい。

お互いに相互の想いが付録で付いています。

Present with Love

食事にしても、
カップめん一つとおにぎり一つでも
仲のいい友達や家族に囲まれ、一緒に食べれば
それだけでも美味しいものです。
(あ、これ、私のことです)
高級レストランで
衣装と作法と会話の内容に気を遣いながら
一人一万円のディナーを緊張して食べるより
(そう言う経験はありませんが・・・)
食べ物をしっかりと味わえます。

高級車や贅沢車がなくても
自転車一つでのんびりサイクリングでもできれば
これがまた幸せです(あ、これも私のことです)。



100年に一度の不況、
お金の有無が原因ならば

できる限りお金から遠ざかる工夫をすること、
物質に対する欲求を減らすこと


そして不足した分は
思いやり(ちょっと照れますが「愛」です)
で補う・・・

そんなライフスタイルが
幸せになる一つの方法なのでは
と思っているところです。

2009/2/28(土)

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おくりびと・死に対する尊厳を厳粛な内にも淡々と、
背景で伝える家族や親子、夫婦、人々の絆

おくりびと・・・
観てきました。

あらすじはざっとこんな感じです。

主人公・小林(本木雅弘)が所属する楽団が突然に解散することになり、
チェロ奏者の仕事を失う。故郷に戻って辿り着いた職業が
旅のお手伝い」ならぬ、
安らかな「旅立ちのお手伝い」・納棺師。

会社は山崎努社長の「NKNouKan)エージェント
事務員は余貴美子

旅行代理店と勘違いして勤め始めたこの仕事、
社会的に自信が持てないのか、
妻(広末涼子)に内緒で勤め続け
ある日それを知った妻は実家に帰り
また友人(杉本哲太)には軽蔑される

そんな状況のなかでも本人は納棺師としての修業を積んで行く。
身体を清め、衣装を着替えさせ
固まった手を解いてあげ、胸元に添え
開いた口元を閉じ、髪を梳かし
顔に化粧を施し、紅を塗り、
安らかな寝姿にしてあげる。


死者の前に座った家族や親族は
悲しみに打ちひしがれながらもその儀式を静かに見守り
生きているかのように整えられて行く大切な人の寝姿を見て
悲しみを和らげる。

モックンの端正な顔付きの影響も大きいのでしょうが
死者を優しく慈悲に満ちた視線で見続けながら身体を清めて行く光景は
儀式を超えた何か厳粛なもの、人間の尊厳に対する深い想いが感じられ
人間、誰しも必ず迎える死に対して
このような納棺師に清められてもらえたら幸せだろうなぁ
と、ちょっと現実的な事が頭に浮かびました。

やがて、妻が突然に戻り、妊娠を伝えられ、
子供にその職業を自信を持って伝えられるの?
と問われる。
お互いの溝が埋まらないままのある日、
友人の母(吉行和子)が突然に亡くなり
その納棺を行うことになる。

妻と同行し、友人の母の納棺を執り行い
それを見続ける妻や友人は感動と感謝に満たされる。

妻にも友人にも理解され、納棺師の仕事を続けるある日、
幼い時に自分を捨てた父親(峰岸徹・2008年10月亡くなりました)
の訃報が入る。
小林は、
「生きて会ったらぶっ飛ばしてやる」と父親を恨み続けていたので、
「絶対に会いに行かない!」と訃報を無視するが、
余貴美子演じる事務員が
「お願いだから行ってちょうだい!」と。
「私も『ママ行かないで!』と泣き叫ぶ6歳の娘を捨ててきた女なの!」
と辛い過去を打ち明ける。

そして妻も説得し、二人で死んだ父親の元へ。

女と一緒に自分と母親と街を捨てたと思っていた父親は
見知らぬ漁村で地元の人々の下働きのような事をして
一人でつましく暮らしていた。
枕元に残された荷物はダンボール一箱分。

地元の葬儀屋が亡き父の遺体をぞんざいに扱う手を怒ったように払い退け
自らが父親の身体を清める。

そして
父親が固く握り締めていた拳の中には
父子のみが知る絆の小石が・・・



気張らず、気負いもなく
派手な場面も無く、淡々と静かに流れる日常の風景。

誰しもが迎える死に対して厳粛に見直すと言う
当たり前ながらも忘れれつつある最近の忙しない世相

その事を感じながらも
父子や夫婦、親子、人と人、友人、
そう言った人々の絆の大切さを
静かに伝えてくれた映画でした。


山崎努圧倒的な存在感
何かを背負った女を演じるならこの人・余貴美子
吉行が営む風呂屋の常連客の笹野高史の人間味溢れる味わい、
視線の隅々に感性を感じるモックンも素晴らしかったですが、
これらの俳優の皆さんも不可欠な存在でした。



実はここのところ仕事が忙しく、
昨夜のレイトショーで観ようと出掛けたのですが、
あいにくと満席だったので今日の昼間の時間を予約して帰り、
今日、無事に観て来たところです。

西部モールのMOVIX伊勢崎は
いつにない人混みで溢れていました。
観客はほとんど中高年。
その多くが「おくりびと」の場内へ。
いつものMOVIXとは異なる客層でした。

上映は一番広い508人が入れるシアター4。
通路から後ろはほぼ満席。

場面場面で周囲から洟をすする音が聞こえ、
涙腺が弱い私もそ〜っとティッシュを出して音を立てずにズズッと。
隣で妻が「私にも1枚」

先日、マンマミーアで元気をもらった団塊の世代男・丸男ですが
今日はまた心の洗濯をして来ました。

皆さんにもお勧めします。

2009/2/25(水)

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政治とマスコミって何?

中川昭一前財務大臣のG7会議後の記者会見とその後の辞任劇
あっと言う間の顛末でした。

私も、一国の大臣が国際会議で朦朧とした会見を行うことに対して
決して受け入れている訳じゃないのですが、
何かスッキリとしない気持ちが残っています。



真っ先に思い浮かんだのは、一国の財務大臣が出席する国際会議と言えば
秘書やら官僚やら何人かの付き人がいて
会議や記者会見など、大臣のスケジュール管理をして
色々とアドバイスやら進言を行う
のではないか、
なのになぜこんな事態に?
と言う疑問です。

例え中川氏がどんなに酒好きであっても公務を終えるまでは
大臣、ここは少しお控えください、次に会見がありますから
くらいの役目を負った人がいたろうに・・・。
個人がプライベート旅行をした訳でもないのですから。

なのに飲酒が過ぎて朦朧とした会見をし、それが世界中に配信され
翌日には辞任。

何か腑に落ちません。

大企業でも、上司が重要な会議に出席するようなことがあれば
部下が一人くらいは付き添って、あれこれと気配りしたり面倒をみます。
「部長!明日は重要な会議です。
そんなに飲んで大丈夫ですか?今夜は早く寝た方が・・・」
なんて。

今回は一国の大臣の国際会議ですから・・・



次なる疑問は、最近のマスコミの指導者叩きです。
特に保守系のリーダー達はことごとく狙われる感じです。

先週、TBSの朝ズバに森元首相が出演し
みのさんやコメンテーターに麻生内閣のことをあれこれ追及された時

マスコミは何でもかんでもすぐに叩かないで、少しは黙って見てなさい
と言う趣旨の発言をしていました。

最近、国政に関わるリーダー達、特に保守系の人たちは
マスコミから常に虎視眈々とあら探しをされているみたいで、
少し何かがあればマスコミに叩かれて引き摺り下ろされる。

政治手腕を持ったリーダーがいたとしても
何かの欠点があれば一挙に落とされるので、
それに警戒して清廉潔白、品行方正のバリヤーを張りめぐらす。
マスコミ対策に終始されて政治の能力を発揮できないとしたら
国民としては大いに困ります。
そんな暇があるならば
この不況の経済対策に全力を注いでもらいたい。



水清くして魚住まず
(みずきよくしてうおすまず)
清濁併せ呑む
(せいだくあわせのむ)

と言う昔からの諺もある訳で

何事も−(負)があって+(正)があり、陰があって陽があります。
両面があるから変化があって、親しみや味わい、深み、柔軟性が生まれます。

純粋で清廉潔白な紳士淑女ばかりに始終囲まれていたら
何だか自分だけがバイ菌のようで
息が詰まって疲れてしまう、
あるいは
自分も清廉潔白競争に参加して
無菌培養室みたいな社会作りに加担してしまう。



マスコミも視聴率稼ぎの話題が必要なのでしょうが、
指導者のあら探し、社会の不幸探し、不安のネタ探しじゃなく
もっと視聴者が落ち着いて聞いていられる
気持ちが明るく元気になる番組作りや報道
をしてもらいたいものです。

これは同時に、情報を適正に取捨選択しなければならないと言う
視聴者側にも責任があるのでしょうが・・・・



話題が突然に逸れますが・・・

モックンの「おくりびと」の
アカデミー賞外国語映画賞受賞

素晴らしい!!

久々に明るい話題です♪

CGと巨額の制作費を掛けたハリウッド映画界に取って
大きなサプライズだったようです。


観に行かなくっちゃ!

2009/2/20(金)

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壊れた風力発電機

三和工業団地の上武道路に面した工場に、
緑の風車6基がビュンビュンと元気に回っている姿を見かけた人は
多いのではないでしょうか。


この風車が現在取り外されています。

たまたま2月14日にそのすぐ前で工事中の
伊勢崎三和工業団地・中央公園整備工事
上毛新聞社・印刷センター新築工事
の状況を見に出かけた時に気が付きました。

ちょうど公園の植栽工事中の人がいたので尋ねてみると
2月8日(日)の、一日中、強い空っ風が吹き止まなかった日の翌日
公園の工事現場に来てみると、
6基の内の1基が壊れて、道路の南側まで飛んで来ていた
とのことでした。

その後、安全のためか他の5基も取り外したとのことです。
現地では、壊れた1基の下部にある設備も壊れていました。

最近、この風車と同じタイプを赤石楽舎と伊勢崎工業高校で、
また、別のタイプでは、スマークや波志江PA、
三和工業団地の別の会社などで見かけます。

風力を期待したエコエネルギは、
特に群馬県は上州名物の空っ風も強く吹き
またその形状がユニークで可愛らしく、屋外のオブジェとしても面白く、
穏やかな風の日にクルクル回る姿は楽しい気分にさせてくれ、
今後大いに期待されるものですが、
突風などの風荷重や長年月の繰り返し荷重に対しては
十分に安全な設計が必要

と思いました。

もし、壊れた風車が往来の激しい道路や人混みの中に落ちたとしたら
と考えると、余計にそのように思います。



ここで、風車の回転軸などで金属が使用される場合について
ちょっと考えてみました。

金属と言っても範囲が広いので、鋼材(広くは「鉄」)について考えてみます。

・・・・

鋼材を強度部材に使用するとき、
コンクリート材料に比べて許容応力度が高い
言う大きな長所を持っていますが、弱点もあります。

錆びる事、疲労や衝撃に弱い事などです。

鋼材が錆びる断面が欠損するので、耐力が低下します。
錆びを防ぐためには塗装をしますが、
塗装皮膜は野外では定期的に再塗装する必要があり、
この保守費用が掛かることが、例えば橋梁で白黒合戦
(白:コンクリート橋、黒:鋼橋とでどちらを選択するか)
の時に鋼材が不利になる1つの要因です。

疲労
長期間に渡って荷重が繰り返しかかった場合に強度が低下する現象で、
橋梁で言えば支承部、桁端部のジョイント部などに
走行荷重が繰り返しガタン、ガタンと掛けられると
その力が許容応力度よりはるかに小さくても、
強度が低下して破断してしまう
場合があります。

橋梁以外で思いつくのは機械分野の回転軸です。
自転車や自動車、電車の車軸、ヘリコプターや飛行機、スクリューのプロペラ軸、
風車や観覧車、ベルトコンベアやローラースケート・・・
際限なくあります。

これらの場所に鋼材が使用され、
疲労強度を越えると破断する場合があります。

また鋼材は衝撃に対しても弱点があり、
特に低温状態に置かれたり、切り欠き(ノッチ)などがあると
靭性(じんせい)や延性(えんせい)が大きく低下して破壊されやすくなります。

このような経緯で鋼材が破断することを「疲労破壊」と言います。



疲労破壊を防止するには
設計時に疲労強度に対して十分な安全設計を行うこと
また、使用開始後は、定期的な保守点検が必要になります。

使用開始後の鋼製品の検査は現物を壊して検査するわけにも行かないので
物を壊さないで検査する方法(非破壊検査で行います。
非破壊検査には
超音波探傷検査やレントゲン検査、
目視検査(肉眼・外観)、磁粉探傷検査、浸透探傷検査
などがあります。

余談ですが・・・、
若い頃に勤務していた東京の会社は鋼橋製作会社ですが、
当時、検査課の先輩に
鉄骨や桁の溶接部の超音波探傷検査の方法を教えてもらったことがあります。
腹部エコー検査のようにグリセリン状の物を塗って
センサーをグリグリと動かし、モニターに映る波形で欠陥を探すのですが
見えない部分の検査なので、ちょっと歯痒い感じでした。
また、検査のベテランになると、
鋼製品をハンマーで叩く音で中のひび割れを発見できるようになる
と言う話も聞いたことがあります。
その人の腕に伝わるハンマーからの微妙な振動や音
で欠陥を発見するのだと思います。
ちょうどお医者さんの聴診器みたいな位置付けでしょうか。



最近の金属疲労破壊の事例を検索してみました。

・2006年4月、東京の新交通システム「ゆりかもめ」で脱輪事故
乗客230人にけがはなし、国交省航空・鉄道事故調査委員会公表
車輪のホイールと車軸をつなぐハブの摩耗が原因で
金属疲労による亀裂が発生、ハブが破断し脱輪。

・2007年5月、大阪の遊園地「エキスポランド」ジェットコースター事故
20人が死傷、大阪府警発表。
 折れた車軸の破断面は直径3.6センチ。
摩耗に強いニッケルクロム鋼が素材。
金属疲労特有のしま模様が確認された。
コースターの重量や上下左右の激しい移動など、
長年の負荷が破断につながったとみられる。

・2007年12月、NHK取材用ヘリが静岡市葵区の沼地に墜落
乗員2人が死傷、国交省運輸安全委員会公表
テールローター(後部回転翼)を制御するコントロールロッドが
金属疲労で破断していた

なお、1992年以降、三菱自動車のタイヤ脱落事故も金属疲労とのことです。

鉄製品がなければ現代社会は成立しません。
ただどんな材料も完全ではありません。
特性を活かしながら安全に使用する
と言う事が重要なことなのでしょう。

2009/2/17(火)

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「地域ブランド力調査」で群馬県が最下位!
これは考え直さないと・・・

皆さん、ご存知でしたか?
日経リサーチ社の「地域ブランド力調査」で群馬県が全国で最下位だったこと。

誰ですか「う〜ん、納得!」なんてしたり顔をしている人は?

この調査、詳細は(株)日経リサーチの下記サイトに掲載されていますが、
http://www.nikkei-r.co.jp/area_brand/
同調査では栃木県が46位、茨城県が45位で
北関東3県でワースト3を独占
しました。
他の近隣では埼玉県が43位で福島県が40位

これを私なりに分析すると、北関東や埼玉は東京に近過ぎて、
常に東京との対比で自信を無くしていたり個性化に固執していないような、
そんな姿勢が影響しているのかと考えています




美男美女の隣に座ると自分がやたら不細工に見えたり
100mを11秒台で走る友達を持つと、13秒で走る自分が鈍足に思ってしまったり、
脚がやたら長い友達と並ぶと、自分がなぜか胴長短足に思えてしまったり・・・

例えが漫画チックでしたが
そんな感じで、
東京が全て一流で北関東は二流、三流みたいな意識があるような。
全くの他人(遠くの存在)ならば特別卑下することもないのに
近過ぎるとその差を過剰に意識
できのいい兄弟を持った時、常に比較されて落ち込む他の兄弟のような。

それで「ま、いい物を欲しければ東京に行けばいいじゃん」って感じで。

でも、東京は東京、群馬は群馬ですから、
何でもかんでも比較する必要はありません
田舎も個性です。
テレビ番組の「田舎暮らし」や「田舎へ泊まろう」は都会人の憧れですから。



このランキングだと北海道や関西、東京圏、沖縄、九州等が高得点で、
知名度や認知度からすると確かに頷けるのですが、
しつこいようですが群馬は群馬ですから。

で、私の考えでは、

自分達や自分の地域にまず自信を持てばいい
のだと思います。

私は東京の会社に13年と少し勤務していて、
その時、千葉や東京、埼玉に住んでいましたが、
職場の同僚や後輩、先輩を群馬に連れて来ると、皆、一様に大喜びでした。
特別に草津や伊香保榛名、尾瀬に連れて行かなくても、
東京からこんなに近くて、温泉や山にも近くて、
緑は豊富で水は美味い
、だから
コーヒーやお茶が美味しい、ご飯も美味しいですねぇ〜
と感激してもらえる。
それに、それなりに市街地があって、周囲はのどかな風景だし、物価は激安。
真夏の猛暑の時に連れて来たこともあり、
冬、たまたま雪が降った時に連れて来たこともありますが、
それはそれで楽しんでいました。
元を正せば、東京人って言っても、皆さん出身はほとんど地方です。



東京の超高層ビル街や混雑したデパートや繁華街での買い物、
または観劇や美術館だってたまに行くからいいけど、
毎日、あの場所に住んでご覧なさい、大変だから

私なんか13年間の朝の通勤電車で座れた事なんか一度もないんだから。
あ、休日出勤の時は座れましたが。

午前様を過ぎた最終電車だって超満員で、
最終が出てしまった後は白タクに並んで、
それもホームから競争で脱兎の如くに走って
その5分差で家に着くのが30分違うので皆真剣。
酔っ払っていたりすると、心臓が危ない。
毎朝、大泉学園駅のホームで駅員さんに背中をムリムリと押してもらって乗り込み、
顔も身体もヘチャ〜〜って窓ガラスにくっ付いたままじっと我慢の20分
池袋へ着けば我先に足早にコンコースを歩き(走り)JRか地下鉄へ乗り換え。

群馬ならば、通勤に1時間40分掛ける人なんてほとんどいないでしょう。
みんなせいぜい4,50分。近い人は5,10分。
(私は徒歩3分)
ま、毎日の事なので慣れれば平気にはなりますが、
でもその東京が4位で群馬が47位ってちょっと違うかなぁと。

ま、「地域ブランド」評価なので特に住み易さだけが比較対象じゃないようで、
そんなに熱くなることもないのですが、

でも「最下位」となるとちょっとショック!

普段、こんなに住み易い所はないですよ。



東国原知事の宮崎県なんか、
2006年調査の28位から15位へ大幅にランクアップ
もちろん東国原知事の宣伝力の影響が多大です。

だから、群馬だって自信を持って売り出せばいいんです。
宣伝です。広報活動です。

どんな事でも視点を変えて自信に繋げて
過剰にクールに卑下しないで、
伊勢崎を、そして群馬を好きになることから始めればればいい
んじゃないかと。

自分の地域を好きになれない人が
どんなに「伊勢崎はいいよ〜、群馬はいいよ〜」と説得したって
相手も真剣に聞いてくれないんじゃないかと・・・

そんな風に思った次第です。


2009/2/15(日)

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3万発の伊勢崎の花火大会、今年は中止。残念に思う

平成21年度の伊勢崎市の予算は緊縮財政のため
いせさき花火大会を休止し約3,000万円を削減
するとのこと。

確かに3,000万円と聞くと、
1時間半で3,000万円が消えるんじゃ、
この不景気な時代に贅沢である
とか
また、合併前の旧市町村単位の赤堀、あずま、境も
花火大会を中止した経緯があるので
じゃあ伊勢崎も中止しなければ」と言う流れもあるのか
と想像していますが

伊勢崎の花火ってその程度の位置付けだったのだろうか?
と考えさせられました。



まず、3,000万円という予算に付いてですが・・・

公共予算等、大きな金額を考える時、
私は自分の日常の金銭感覚では捕らえにくいので
良く家計に置き換えて考えます。

伊勢崎市の新年度予算は約626億円です。
その内、3,000万円が占める比率は0.048%

これを年収400万円の家庭の出費で考えますと1,920円です。
一家庭で年1回のイベントに1,920円の費用

このように考えると
そんなに贅沢なことでもないのではと思ってしまいます。



次に「いせさき花火」の位置付けですが・・・

3万発が豪華に打ち上げられると言う事で
昨今、県内外にも知名度が上がり、
元気な街・伊勢崎を象徴するイベントとして
十分その宣伝の役割を担い続けて来たと思っています。

確かに合併前の市町村単位で判断すれば
何で旧伊勢崎市だけ継続?
となるかも知れませんが、
合併後の新・伊勢崎市のイベントとしてとらえれば
いや、既に合併後4年も経過する今
新も旧もなく、伊勢崎市は一つなので
合併前のセクショナリズムは退けていただき
新しい伊勢崎を宣伝するための一大イベントとして考えるべきと思います。



緊縮財政で少しでも無駄なものは削る
と説明されると、やっぱり経済的な不安は避けたいので
返す言葉にも力が入りませんが

不景気でもせめて花火大会だけは・・・
あるいは
不景気だからこそ元気付けに花火大会を・・・

と期待していただけに、
今回のニュースは元気がなくなる話題でした。
実際、ニュースから2日目ですが、私の周囲でも
今年は花火が中止なんだって?
と残念がる声が挨拶代わりのように交されています。

また、昨日、当サイトの掲示板に
花火大会が中止されることを惜しむ声が寄せられ、
その中で募金で実施できるなら協力したいと言う意見があったので、
早速にこんな試算をしました。

30,000,000円/79,251戸=378円/戸

伊勢崎の各戸が約400円寄付すれば花火大会の予算が調達できます。

「花火なんか興味が無い!」
と言う方もいらっしゃるでしょうから、実際は難しい話でしょうが
その心意気に心を動かされました。



企業のリストラ、早期退職勧告、派遣契約打ち切り、
内定取り消し、賃金・賞与カット、収益の下方修正、倒産・・・と
新聞やテレビでこれらの言葉を聞かない日はない状況ですが
今回の花火大会休止のニュースもその範疇の響きを感じた次第です。


2009/2/13(金)

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どうせ売れないから作らない、
自分も他人も信じない、消極的に回転する世相、
切り抜けるのは人々の心意気

今日は13日の金曜日

・・・と言う話題じゃなくて、こんな話です。

最近の世の中、
個人も企業も
どうせ売れないから作らない
どうせ儲からないから商売しない
いい学校を出たってどうせ就職なんかできない
一所懸命仕事をしたってどうせリストラされる
・・・と
どうせダメだから余計なことをしない
と言う消極的な世相になっているような
そんな気がしませんか。

自分も信じないし
他人も信じない
何もしないでじっと大人しくしている



昔、マークトウェインのエッセイで、こんなのがありました。

雨の日に泥で汚れたブーツの清掃を怠った召使に
主人が理由を尋ねると
「だって、だんな様、どうせまた雨が降れば汚れますだ」と。
翌朝、
「だんな様、私の食事がねぇですだ」
「だってお前、どうせまたお腹が空くんだから食べても仕方ないじゃないか」

召使は早速に態度を改めたと言う話ですが、
この発想で行けば、極端には
「人間、どうせ死ぬもの、それなら生きていても仕方ない」
にもなり兼ねません。

ちょっと回転方向が暗過ぎます。



「貧すれば鈍す」
と言う言葉がありますが
経済的に窮したとしても
意気込みや士気まで萎える必要はないんじゃないかと

事前にあれこれ計算して、
どうせダメ、どうせ無駄として、
それで被害を最小限に食い止めること。
とても賢明なことで失敗じゃないでしょうが
人生としては成功とも言えないような?
少なくとも生き甲斐は付いて来ないような。

挑戦して頑張って、それでダメなら納得できるじゃないですか。
裸一貫になる覚悟があれば、それ以上捨てるものはありません。

何だか益々意気消沈する最近の世相、

切り抜けるのは
人々の心意気のような気がします。



2009/2/11(水)

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冬から春先にかけては、1年分の仕事の大半が、
それを過ぎると閑古鳥が鳴く日々


毎年、暮の12月から3月頃まで、仕事が猛烈に忙しくなります。

元請と下請けに関係なく、どうしてもこの時期に集中します。
官庁や大きな民間などの3月末の決算年度の関係があるのかと思います。

年度明けの4月後半から秋頃にかけては仕事量は非常に少なく
ややもすると1ヶ月くらい閑古鳥が鳴きっぱなしで、平日でさえ

今日は何をやろうかなぁ???

などと傍目には優雅に、内心は不安な日々を過ごしますが、
冬から春先にかけてのこの時期は土日、祭日を全て返上し、
かつ夜中の10時、12時まで働いてもまだ間に合わない
場合があります。

1年の大半の仕事がこの4ヶ月に集中してしまうと言った感じです。

この時期に合わせて従業員数を確保してしまうと
仕事が無い時期はただただ人件費が出て行くばかりで、
それも胃に穴が開く原因になり

また、この時期に絞って臨時で募集しても、仕事がなくなった時に
仕事がないので辞めて下さい
都合のいい事も言い難く

それに仕事のノウハウもあるので誰でもがすぐにできる訳でもないので
猫の手でもいいと言う訳には行きません。



東京にいた頃の長野県出身の知り合いで
一旦、東京の大手建設コンサルタントに入社したものの
2月3月には一ヶ月の残業が200時間を越え
会社に寝袋持参で泊り込むような状況が何年か続いたので
それを嫌って公務員試験を受験して
長野県庁に再就職してしまった人がいます。
当時は今のように完全週休2日制ではないので
200時間を越える残業は想像外です。

理想と言えば、

十分余裕のある従業員数を確保できて、
教育の費用や時間を十分に賄えて
暇な時期にも経営が成り立って
働く者の労務環境や労働条件も整備できる


ことなのですが、
現実はなかなかそう言う訳にも行きません。

会社側の対策として
冬から春先にかけての土日は全て出勤日にして
夏の暇な時期にその分の代休をまとまって取る
と言う労働条件にしている会社もあると聞きます。
「ちょうど子供達の夏休みに合わせられるからいい」
と言う人もいるようですが。

一昔前は3月60日とか3月90日とか称して
実質4月末(3月60日)、5月末(3月90日)
までの工期延長を許したこともあったようですが、
最近は、工期の延長はなかなか厳しい制約があるようで
拠所ない理由がない限り、それも厳しい状態です。



と言う訳で
業界の末端で生きている日本一の零細企業の私の会社もその例に漏れず、
この時期は忙しい状況です。

先日も東京の同業者から
3月中旬までの工期なんだけど、歩道橋の図面一式が入らない?」
と問い合わせがあり、喉から手が何本も出ていましたが
今抱えている仕事も間に合うかどうか不安なので
やむを得ずに丁寧にお断りすることになりました。
後1ヶ月後ならば・・・
ホント、もったいな〜い!!
次回も声を掛けてくださ〜い!



で、「Go!伊勢崎」も、この時期はなかなかゆっくりと
サイクリングや取材、ホームページの更新ができません。

でも、どんな状況でも

息抜き

は必要。
程ほどには時間を取ってサイクリングや更新を行いたいと思っています。
日記なら余り時間を取らないし、
撮り溜めした写真もあるし、
いただいた画像や情報もあるし・・・
ウン、これなら何とか両立できる!



「え?そんな暇があったら仕事しろ」って?

2009/2/6(金)

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ホームページの運営
訪問者の皆さんの反応がエネルギ源

先週の木曜日、枯れ枝が眼に刺さり、
32時間寝たままの生活を強いられた記事を書きましたが、

とても嬉しいことに、その後すぐに当サイトの掲示板の常連さんの
chanさんやしょうちゃんからお見舞い記事を投稿いただき、

また先日は市民ボランティアフェア取材時に、
21会議で知り合ったHさんや西部スポーツクラブのHさんに
「眼、大丈夫ですか」と心配していただき、

また尊敬する大先輩Sさんからもお見舞いメールが届き、

先日は高崎の友人に遊びの電話を掛けた時、
「ウチのが言ってたんだけど眼を怪我したんだって?大丈夫ですか?」と。
奥様が当サイトを見ていてくれてるようで。

皆さんにご心配いただき、幸せ気分です。
ありがとうございました。

もう眼はスッカリ良くなりました。

ホームページを個人で運営するのはこれが意外と孤独な作業で、
日々の訪問者数が多かったりすると多少の元気をいただきますが、
これは単純な「数」なので訪問者の顔が見えず

やっぱり一番元気になるのは
投稿記事やメールをいただいたり、直接行き会った時の生の声で


イベントやお店、または建設関連事業を記事にした時

ありがとうございました。感謝してます」と言われたり
毎朝、朝一番で見てます」とか、
あの記事、面白かったよ」、
伊勢崎の事が分かるので便利」、
あの記事で救われました

などと感想を聞かせてもらうと、

よ〜し、また頑張るぞ〜
と単純にエネルギが湧いて来ます。

たまに「私はGo!伊勢崎ファンですから
なんて言われて天に昇ることもあります。

そう言う意味で、個人運営のHPは
ブログを書き綴っている方たちと心理的には変わらないものがあります。
ブロガーの皆さんも、訪問者の皆さんの感想はやっぱり気になるところ
だと思います。

いくらサイトの運営方針をキッチリと立て、挫折せずに継続しようとしても、
検索ソフトのように各ページを動的に自動生成しているわけではなく、

取材や情報収集、記事のまとめと言う
「ドン臭い」肉体労働がその大半の作業
なので、

やっぱり日々の燃料が枯渇するとエンスト状態になります。

その燃料を補ってくれるのが、
訪問者の皆さんの反応を実感として感じ取った時
です。

人間ってホント、単純ですよね
(って、単純なのは私だけ?)



もちろん、志気を阻喪させるような反応もあります。
早合点されないように最初にお伝えしておきますと、
観覧車問題や四ツ葉学園、スマークの交通アクセス等
に関する批判、非難、反対等の意見交換は
これは大歓迎のことで、サイト運営のエネルギ源です。

何事も賛成ばかりが独走してはバランスを崩しますし、
また改革的な意見も出ないと考えていますので、
批判や反対意見はとても貴重で、
同じ土俵に乗るのでむしろ仲間意識さえ湧きます


志気が萎え無力感に陥るのは、
その相手(特に組織)に取って、
当サイトが気になる存在として意識の中にありながら
YesもNoも伝えずただ静観し、
しかも閉鎖的、拒否的な対応を取られる時です。
単純な「無視」でもないのですが、
目の前にいるのに、顔を合わせてくれない相手、
あるいは顔が仮面で隠れている相手、
高い位置から相手の様子を静観、傍観する相手

と言った感じでしょうか。

それぞれ事情があることなので、当方が詮索しても仕方のないことですが
そのような相手に接する時は、当方もモノトーンな姿勢で向かうしかなく、
それは徐々にエネルギも減衰し、結局は敬遠することになるので、
インターネットを介して広く情報交換をし、街づくりや日々の生活感覚の活性化
を期待している当方としては、そのことが非常に残念なことです




とは言え、大局的に捕えればこれらの事も「反応」の範疇
何事もエネルギ源に変換して参ることにしましょう。
(何事も性善説?)



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