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伊勢崎市に残るレンガ構造物

(主に平成合併前の旧伊勢崎市内のレンガ構造物)
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更新日:2020/5/20 ●画像下の日付は撮影日
 伊勢崎市のまちなかに残るいくつかの歴史的建造物。神社仏閣など、守るべくして残されている建造物を除けば、徐々にその姿を消しています。学校や公的施設でもその例外でなく、老朽化や強度的・機能的な問題等で解体され、消え去ります。そんな中で更に所有者が民間である場合には、本人が壊すと言えばそれまでのことです。
 富岡製糸場の最後の民間所有者・片倉工業が「売らない、貸さない、壊さない」の姿勢を貫いた話は有名ですが、それは優等生的な例。現実的には古ければ古いほど所有者は代替わりし、いつまで残されるのかは保障の限りではありません。
 まちの記憶をどこかに残し、現在を生きる私たちが自信につなげることはとても重要なことと思います。そんな思いで、消え去る前にこれらの歴史的建造物を記録したいと思っています。(2015/2/13 記)

イギリス積

 小口積みと長手積みを交互に段違いに積む方法。最も堅実で廃材が少ない合理的な積み方と言われています。

フランス積

 同段中で小口と長手を交互に積み、小口センターと上下に積まれた長手のセンターを揃わせる積み方。 化粧面の仕上がりが煉瓦らしく美しいと言われていますが、手間がかかるので工賃は高くなります。

 他にも、ドイツ積、オランダ積、アメリカ積、小端フランス積み等があるようです。

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元設楽医院の赤レンガ塀

 伊勢崎駅前通りの結婚式場(元田原屋さん跡地)のすぐ西側の露地裏に、赤レンガの塀が残されています。塀に囲まれた敷地の中は見えませんが、南側にある木戸なども朽ちていて、垣間見える敷地内には人が住んでいる様子はありません。街中のぶらりサイクリングの時にたまに通るので、かねてより気になっていて、この日、青い空と赤いレンガ、緑の蔦が口を揃えて「今日撮らなきゃ撮る日はないよ」と訴えていたので、撮影して参りました。民家の脇の狭い路地に面しているので、通りを通過する車からは確認できません。(2009/9/7 記)

伊勢崎空襲の痕跡が残る元設楽医院の赤レンガ塀。南半分が解体される。(2020/5/20)

塀の中央にある赤い木戸が赤レンガとマッチしています。 2009/9/5

今なお傾くことなく立ち続ける赤レンガ塀
レンガの積み方はイギリス積
2010/3/28

蔦に覆われる赤レンガ塀 2009/9/5


 3段の笠木部分が重厚感を伝えます。 2010/3/28

2013/4/28


更新日:2015/4/11 ▲ページTopへ

徳江製糸所・レンガトンネル

 築造年が古いレンガトンネルは、”レンガトンネル”とカタカナで書くよりも、”煉瓦隧道”と書いた方が味わいが伝わって来るようです。特にここ徳江製糸所の煉瓦隧道は漢字の方が似合います。と言いながらも、誰かにその存在を聞くなどして関心を持った人でなければ、わざわざ訪れる人が少ない建造物です。それほど奥まった人目に触れない場所にあります。適当に訪れると、近くへ行ってさえ見つからないかも知れません。
 かく言う私がこのトンネルを知ったのは当サイトを開設した2006年の秋頃。誰に聞いたか忘れましたが、時報鐘楼に興味を持った頃に、ついでに聞いたように覚えています。その後、赤石地区の街中をぶらりサイクリングしている時、突然に思い出して訪れてみましたが、事前の準備が「北小や伊勢崎市図書館の北西辺りって言ってたよなぁ・・・」程度だったので、多少探したものの見つかりませんでした。以来、改めて調べなおして訪れることもなく月日が経過し、最初の訪問は1年半後の2008年2月17日。
 現地に立ち、最初に思ったのは、事前に抱いたイメージと大きく異なっていたことです。山間部のトンネルのように、道路を歩く自分の高さから見上げる姿を想像していたのですが、このトンネルは目の下にあります。近くを通る路地から広瀬川河川敷へ向かって下る通路用のトンネルだからです。しかもトンネル内は薄暗く、路地からは煉瓦構造がはっきりとは分かりません。河川敷側へ降りて、下から見上げて初めて納得する存在です。
 「近くへ行けば分かるだろう」程度の準備では見過ごします。案の定、その程度の準備で出かけた知人が、「あれって、どこにあるの?近くまで行ったはずなんだけど見つからなかった」とぼやいていました。まち歩きなどのイベントで案内される場合はいいとして、自力で出かける人はしっかり事前に調べて出かけた方がいいでしょう。右に現地地図を掲載しておきます。残念ながらGoogleストリートビューでは現地を特定できません。車で走っては見過ごすでしょうから、自転車か徒歩がお薦めです。あの辺の地理に詳しい人ならば、赤坂川が広瀬川に合流する地点(愛老園の南側)に、何となく広がった駐車スペースが十分にあります。
 狭い路地が今も残り、油断すると迷子になりそうな場所ですが、伊勢崎陣屋(伊勢崎城)の時代から、明治大正昭和と伊勢崎の中心地として栄えてきた赤石地区。そんな歴史の一部を伝えてくれる煉瓦隧道、まち歩きの訪問地として加えてみてはいかがでしょうか。(2015/2/13 記)

徳江製糸所

 明治12年、徳江八郎氏が広瀬川沿いに12人繰りで創業。昭和8年まで操業。
 製糸所で作られた糸はアメリカへ直輸出された。昭和初期の恐慌で、生糸相場の暴落等により昭和8年徳江氏は破産し、工場は人手にわたったが、製糸所は終戦頃まで続けられたという。
 工場は敷地6千坪に及んだ大規模なもので、川沿いに製糸工場、山の手に従業員寮などがあり、この隧道は、寮と工場を結ぶものであったという。現在は煉瓦製の隧道と若干の階段が残るのみで、工場跡地は漁業組合、公園や住宅街となっている。煉瓦はイギリス積み。

※群馬県庁公式サイトの紹介記事を参照。

 先日、赤坂川沿いと曲輪町周辺の桜散策をしたついでに、ここ徳江製糸場のレンガトンネルに立ち寄ってみました。そこには、最初に訪問した7年前と同じ姿のトンネルが存在していました。年月の経過でトンネル出口(広瀬川側)周辺の記憶が薄らいでいたので、写真に収めて来ました。
 徳江製糸場操業中、女工さん達がこのトンネルを抜けて工場まで向かったであろう道は、土が崩れるなどして幅が狭まり、通行できる様子ではありませんでした。出口脇には4段の階段があって、アスファルト舗装された駐車場と繋がっていました。(2015/4/11 記)

徳江製糸場のレンガトンネル(広瀬川側出口) 2015/4/5

広瀬川側出口(駐車場から) 2015/4/5

レンガの積み方はイギリス積み。 2008/2/17

広瀬川側出口方向 2015/4/5

広瀬川側出口から広瀬川方向 2015/4/5

かつては徳江製糸所の工場と寮をつないだ通路。広瀬川河川敷側から路地方向を見る。
トンネル内は勾配が付いています。2008/2/17

他のレンガ構造物

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旧時報鐘楼特集はこちら

メモリードの建物の西端部に残るレンガ
レンガは建設当時のものと思われます。
(南西側から) 2009/10/25


メモリードの建物の西端部に残るレンガ
(北西側から) 2009/10/25

メモリード通路の壁に残されるレンガ屋根
2009/12/5

スバル360発祥の地・富士重工赤レンガ壁

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スバル360発祥の地・富士重工赤レンガ屋根
(北西側から) 2007/10/7

スバル360発祥の地・富士重工赤レンガ屋根
(南西側から) 2007/10/7
平和町ショッピングモールの南東にあります。

JR両毛線のレンガアーチ橋

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JR両毛線・赤坂川のレンガアーチ橋。明治22年(1889年)建造。 2011/3/13




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