Go!伊勢崎 毒島(ぶすじま)城跡 [ 遺跡・古墳 ] [ 里山 ]  [ Home ]




 毒島(ぶすじま)城跡は赤堀今井町二丁目にあり、伊勢崎市の指定史跡です。現在は周囲は田畑に囲まれていますが、古くは沼の中に孤立した島であったようです。今は沼の面影はありません。
 毒島城跡を少し北に行った道路脇に赤堀村時代に立てられた周辺の遺跡の案内板があります。毒島城跡はそのすぐ西側から発掘された茶臼山古墳と並び、重要な史跡です。
 平成18年に新潟大学考古学研究室が現地を調査し、その成果報告が2007/4/28〜5/12日に赤堀歴史民族資料館で展示され、私も見学して来ました。幸運にも調査責任者で報告者である新潟大学人文学部教授の橋本博文氏が研究室の学生達と一緒に訪れていて、色々と話を伺うことができました。お忙しい中、素人の私相手に丁寧な説明をいただき、考古学に対する関心を新たにした次第です。

 2008/4/5、サクラがちょうど満開でした。南東から北側にかけて咲いたサクラが、軍艦のような城跡の比重を軽くしたようです。
(2007/5/18 記、2008/4/18 編集) 最終画像掲載日:2008/4/18 画像の日付は撮影日



サ ク ラ


春爛漫 2008/4/5


東側の斜面 2008/4/5

南東の入り口。緑化フェアの旗が立てられています。
 2008/4/5

南側の道路から 2008/4/5


南東側の麦畑から。ポッカリと浮かんだ雲がのどかです
2008/4/5


北側の麦畑から。麦畑が緑の絨毯のよう
2008/4/5


北側の水田脇の道路から 2008/4/5

 南東側の入り口周辺の斜面には花ダイコン草やレンギョウも咲いています。

 田園風景の中にお椀を伏せたような毒島城跡。サクラや春の花が満開で、1年に1回のドレスアップでしたが、愛でてくれる観客の数が少し足らなかったようです。

 せめて、この画面からだけでも賞賛あれ。
2008/4/5



丘陵の頂部。現在は麦畑になっています。 2007/5/4

西側には路があって丘陵の上に出ることができます
2007/5/4

■調査成果の展示■ 2007/5/4


成果展示室 2007/5/4





成果の展示から 2007/5/4
 下記へ転記

 毒島城遺跡の規模と特徴(上の画像の文章を転記)

 毒島城遺跡の丘陵は東西に長く横たわっており、東西約174m、南北150mの規模があります。丘陵の北側には、突出部が横に並んでいます。西側突出部は長さ約16m、幅約20mあり、東側のものは長さ約20m、幅約20mあります。高さ約3mの上段のまわりには、幅約6m、高さ約7mの下段がめぐっています。上段は東西約60m、南北約32mあります。
 丘陵は周囲の低地から見て、約10mの高さがあります。平坦部での土地利用は畑で、斜面部は藪となっています。丘陵はおよそ2段からなっていますが、南側は人工的改変によって4段に分かれています。
 丘陵の頂部はほぼ平らですが、緩やかに南に傾斜しています。造成地のような平坦部が中段部を取り囲んでいます。現状では、南・東・西に3つの登り口があります。急斜面あるいは防御のために直進することはできません。以前、中段部の南の中央に井戸の跡が一つありましたが、最近破壊されたとのことです。
 北側にフタコブラクダの瘤のような二つの突出部が認められます。上段・下段ともに急斜面をもっていますが、斜面に葺き石は確認できません。土石流堆積物である安山岩の岩が下段の斜面に露出しています。斜面の岩をよく観察すると、それらのうちの一つの表面には、割るためにあけられた小さな穴が見られます。今日、丘陵の縁には土塁は存在しません。周囲の低地は徐々に南に向かって傾斜しています。
 伝承によると、毒島城遺跡の周りに沼があったということですが、濠の有無は発掘あるいはボーリングによらなければならないでしょう。

展示から 2007/5/4

展示から 2007/5/4


南西側から見た全貌 (2007/5/4)


北東部で咲くサクラ 2007/4/1


北東部斜面に群生する花ダイコン草 2007/4/1

丘陵東斜面で咲くコブシ 2007/4/1

南東部の土地改良竣工記念碑 2007/4/1


南東部入口。
ここから緩やかな坂道を登ると
城跡の北東部のちょっとした平坦地に出ます。
2007/4/1

南東部の丘陵斜面に咲く花
(桃でしょうか?)
2007/4/1

北東部の中段の平坦地に咲く真っ赤なツバキ 2007/4/1

赤堀村時代に立てられた案内板 2007/5/4


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