![]() 赤堀茶臼山古墳は毒島城跡の西方300mほどのところにあります。・・・なんて紹介しても「え?毒島城跡ってそもそもどこ?」って突っ込まれそうですが、他になかなか紹介しようがなくて、古墳の形も毒島城跡や多田山のように周囲との高低差が目立つ高さでもないので、遠方から特定する事はさることながら、現地に立っても場所を特定する事が難しい場所です。 現在は周辺は農地や雑種地になっているので、かつての古墳は切り崩されたのかも知れません。現地には標識柱と案内板が立っていて(右の写真)、案内板の北側に周囲と3メートルほどの高低差がある小さな山があり、これが後円部かも知れませんが、現地案内板ではそれを特定できませんでした。 ただ、この古墳は古墳研究史上、全国的にも非常に貴重とのことです(下記参照)。 現地に出向いて、当時、この地に住んでいたであろう豪族の暮らし振りに想いを馳せて見るのも楽しい事です。 (2012/1/21 記) |
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| 以下は(財)群馬県埋蔵文化財調査事業団のホームページから抜粋 ■1929年(昭和4)に帝室博物館(今の東京国立博物館)によって調査。 ■形状・寸法:帆立貝式古墳、墳丘長62.1m、前方部の長さ18m。短く低いのが特徴。 ■8棟の家形埴輪を出土。墳丘上での祭祀のようすを考える好資料。 ■古墳時代の豪族(被葬者)の屋敷の配置をうかがうことができ、古墳研究史上、全国的にも例のない貴重なもの。 ■後円部には2基の木炭槨があって、神獣鏡(しんじゅうきょう)や内行花文鏡(ないこうかもんきょう)、短甲をはじめとする副葬品が出土。 ■後円部上から出土したさまざまな形象埴輪から古墳時代の豪族の姿が見えてくる。 ■2つの粘土槨の副葬品は以下の通り 1号槨:神獣鏡、石製刀子(21)、石製勾玉(1)、臼玉(25)、鎧(短甲)、鉄鏃、斧頭(4)、鉾身・石突、刀剣身 2号槨:内行花文鏡、刀身 下記は現地に立つ案内板。墳丘の寸法が(財)群馬県埋蔵文化財調査事業団の資料と異なりますが、いずれの場合も、長さはおよそ60m程度の古墳だったようです。 ![]() |
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![]() 広域地図 |
![]() 局所地図 [ 拡大 ] |
![]() 現地に立つ案内板。 出土した家型埴輪の絵が描かれています。 2012/1/7 |
![]() 西側の道路に立つ案内標識。 周辺に広がる田園風景と後方には赤城山。 2012/1/7 |
| 茶臼山古墳へは、毒島城跡や多田山方面へのサイクリング時にたまに寄り道しますが、東側の諏訪山の脇の道から現地までの道路は、未舗装で轍が深く周囲には雑草が生い茂っているので余りお薦めできません。 西側の大室公園側からならば比較的入り易いですが、未舗装で勾配もあるので、快適なサイクリングと言う訳には行きませんので、出かける時にはその覚悟でどうぞ。 (2012/1/21 記) |
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![]() 茶臼山古墳全体 上記写真中央の案内板の位置に立ち、北から南までを7枚の連続写真で撮影し、結合したものです。 ↓で拡大画像を横スクロールしながらご覧になれます。 2012/1/7 |
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横スクロールバーを移動すると全体をご覧になれます。 2012/1/7 |
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![]() 赤堀村時代に立てられた案内板 2007/5/4 |
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