国指定史跡・女堀 [ 公園遺産遺跡と古墳 ] [ Home ]

古地図や航空写真で探す

国指定史跡・女堀


このページ内→赤堀花しょうぶ園東大室地区前工団地区飯土井地区二之宮地区(1)二之宮地区(2)富田地区
別ページ→女堀(桂川)
別ページ→平成25年度 史跡女堀シンポジウム・中世の巨大用水路『女堀』の謎に迫る!赤堀地区・分水構造はあったのか?



更新日:2014/3/11
 総延長約13km、12世紀中頃に開削され、高低差が少ないなどの理由でかつて一度も通水されたことがなかったと言われる農業用水・女堀
 昭和58年に国指定史跡に指定され、現在、伊勢崎市と前橋市の何ヶ所かで保全されていますが、明治時代初期に作成された迅速地図(*1)や昭和49年撮影の航空写真(*2)に、その痕跡を確認することができます。
 先日来、当サイトの日光例幣使道のページで、伊勢崎市下蓮町の右赤城の由来となった西向き例幣使道について、その謎を解く記事を書き綴っている時、当サイト「掲示板」から貴重な情報をご投稿いただき、これら迅速地図や航空写真が公的機関から公開されていることを知りました。
 以来、過去に掲載した当サイト内の遺跡や古墳、古道、沼や河川などについて、これらの地図や写真を参照して再編集したい気持ちが高まり、その第一弾として、女堀を取り上げた次第です。
 迅速地図航空写真に残される女堀、私の独断で地図や写真にマークしましたが、オリジナル版も掲載しますので、皆さんの目でゆっくりと確認してみてください。(2013/12/26 記)
(*1)独立行政法人農業環境技術研究所、歴史的農業環境閲覧システム
 歴史的農業景観閲覧システムとは、明治時代初期に作成された迅速測図と関連するデータを公開しているサイトです。迅速測図とは、明治初期から中期にかけて行われた簡便な測量法とその成果の地図のことです。関東地方では明治13(1880)年から明治19(1886)年にかけて平野部から房総半島を対象に作成されました。→該当部分はこちら


(*2)国土情報ウェブマッピングシステム
 このシステムは、国土交通省国土政策局国土情報課が、国土数値情報や国土画像情報(カラー空中写真)をWebブラウザ上で公開するシステムです。→詳しくはこちら

迅速地図(明治時代初期に作成された地図)(オリジナル地図)。→大きいサイズ(2309×777pix)はこちら


迅速地図(明治時代初期に作成された地図)(注記追加版)。→大きいサイズ(2208×777pix)はこちら


女堀周辺の昭和49年撮影の航空写真(オリジナル地図)。→大きいサイズ(3980×1616pix)はこちら


女堀周辺の昭和49年撮影の航空写真(注記追加版)。→大きいサイズ(3980×1160pix)はこちら

掲載日:2014/1/6 ▲ページTopへ

現在も保全されている国指定史跡「女堀」の地図


女堀・赤堀花しょうぶ園


掲載日:2013/12/26 ▲ページTopへ

花しょうぶ咲く頃
2012/6/17

毎年6月頃になると、女堀の中が花しょうぶで埋まり、
土手の上は新緑で覆われ、大勢の人が訪れます。

→詳しくは「赤堀花しょうぶ園
現地に立つ説明板の内容を下記に示します。

国指定史跡 女堀

赤堀花しょうぶ園

 女堀は前橋市上泉町の古利根、現桃木川から取水し、佐波郡東村大字西固定に至る12.75kmの農業用水址lである。
 昭和50年代から実施された農業構造改善事業に伴う発掘調査によれば女堀の掘削排土下から天仁元年(西暦1108年)の浅間山爆発による火山灰B軽石層を耕作したとみられる畠跡が発見されたことから、開削年代は12世紀中葉と推定される。
 この爆発により赤城山南麓一帯は壊滅的打撃を受けたので女堀は淵名荘の水田再開発のために藤原系淵名氏により開削されたと考えられる。
 女堀の基本情造はおよそ上幅25m、底幅10m、深さ5mであり、掘削方法は、溝幅全体を浅く掘り下げてから中央部に通水溝をつける方法の中段を設けた段堀工法による。しかし通水された痕跡はなく、灌漑用水として、未完成に終わった廃溝である。
 昭和58年10月27日に赤堀町大字下触字牛伏213番地他27(総面積23.917㎡)が前橋市分とともに国の史跡として指定された。
伊勢崎市・伊勢崎市教育委員会

赤堀花しょうぶ園の南端部に立つ説明板
2013/8/25

説明板 2013/8/25


国指定史跡 女堀(東大室地区)


掲載日:2014/1/6 ▲ページTopへ
伊勢崎市の「赤堀花しょうぶ園」の北端部と連続して、
前橋市東大室町内の女堀が保全されています。


前橋市東大室町内の女堀。
右後方が赤堀花しょうぶ園へ続いています。
2013/1/20
現地に立つ説明板の内容を下記に示します。

指定年月日:昭和58年10月27日
所在地:前橋市東大室町
所有者:前橋市

 女堀は、赤城山南麓の前橋市から旧佐波郡東村まで続く、長さ約13km、幅15~30m、深さ3~4mの長大な堀跡である。この堀は、農業用水として利用する目的でつくられたが、次のような理由で工事が中断され、そのまま放置されてしまったとみられる。①取水点と送水点の標高差が極めて少ないことからくる測量誤差 ②区割りに分けて掘削されたことで生じた各工区間における走行の違いや堀底面の高低差 ③大雨などによる横断河川の氾濫。この地区は、前橋市では最も東に位置し、旧佐波郡赤堀町へと続いている。女堀は、中世の土木技術を知る上で重要な遺跡である。前橋市内では現存する遺構のうち、ここを含め6地区が国指定史跡となっている。
前橋市教育委員会

2013/1/20

説明板 2013/1/20


国指定史跡 女堀(東大室地区)(西側から東方)
2014/3/8


国指定史跡 女堀(前工団地区)

掲載日:2014/1/6 ▲ページTopへ
 昨年(2013年)末、空っ風も吹かず小春日和の気候に誘われて、かねてより気になっていた前橋市に残される女堀の遺構を辿るサイクリングをしました。
 事前に分かっていた場所は2ヶ所だけ。他の場所は下見程度の、もし見つかれば幸運と言った気軽な気持ちで巡りましたが、なんとなんと、前工団地地区から富田地区までの全5ヶ所が見つかりました。前回掲載時に整理した古地図や航空写真がざっと記憶に残っていて、その記憶を頼りに辿ったのが良かったのかも知れません。
 辿ってみて、事前に場所を地図で特定しておけば車で巡ることもできますが、最適なのはサイクリングのようです。前工団地地区から富田地区まで道なり距離で約5kmなので、車と徒歩を組み合わせてもいいかも知れません。駐車に適しているのは、「波志江沼環境ふれあい公園」か「赤堀はなしょうぶ園」、あるいは「前橋総合運動公園」辺りでしょうか。いつの日か、皆さんに呼びかけて、「”女堀”巡りミニサイクリングツアー」なんて開催できればいいのですが・・・。(2014/1/6 記)
 この日、最初に訪れたのは前橋城南工業団地内に残された女堀。我が家が遠からずの距離なので、工業団地内の南北道路は良く利用し、この場所は以前から気付いていましたが、改めて立ち寄ったのは初めてのこと。いい訳ですが、工場街の道路で、周辺の風景も殺風景なので、なかなか訪れる理由が見つかりません。今回訪問してみると、ソフトボールができる大きさの広場や、ちょっとした公園も隣接しているので、小休止には利用できそうです。(2014/1/6 記)

前橋市城南工業団地内の女堀(西側の道路から)
2013/12/30


前工団地区の女堀・地図
現地に立つ説明板の内容を下記に示します。

指定年月日:昭和58年10月27日
所在地:前橋市飯土井町164番地2
所有者:前橋工業団地造成組合

 女堀は、赤城山南麓に前橋市から旧佐波郡東村まで、長さ12km、幅20~25m、深さ3~5mの長大な農業用水路の遺構である。開削時期は12世紀半ばとみられ、工法的には、数段の段堀(階段状に掘ること)と掘削単位である小間割(いくつかに分けて作業する区画のこと)と呼ばれる掘削工法がとられた。両側の堤は堀の中から掘り出された土である。通水工と呼ばれる水路が堀の中心部に一段低く掘られている。女堀は、水を通すことなく未完成に終わったが、地域開発を求めた用水路として、また、当時の土木技術を知る上で重要な遺跡である。
前橋市教育委員会




前橋市城南工業団地内の女堀(西側の道路から)
2013/12/30

掘削排土が両側に堤として残されています。
堀は覆土されていて、表面には木製ベンチが
数ヶ所設置されています。
2013/12/30

説明板 2013/12/30


国指定史跡 女堀(飯土井地区)

掲載日:2013/12/26 ▲ページTopへ
 この遺構は前橋市城南工業団地の西側、飯土井沼の北側にあります。前工団地地区を見学後、工業団地内を適当に西方に向かったところ、偶然に見つかりました。ラッキー♪

前橋市飯土井町内の女堀(東側から西方)。
2013/12/30



航空写真。該当範囲の明度を明るくしてあります。
現地に立つ説明板の内容を下記に示します。

指定年月日:昭和58年10月27日
所在地:前橋市飯土井町、荒子町、西大室町
所有者:前橋市ほか

 女堀は、赤城山南麓の前橋市から旧佐波郡東村まで続く、長さ約13km、幅15~30m、深さ3~4mの長大な堀跡である。掘削は、まず北側半分が掘られ、地下水の湧水処理をした後に南側を掘る。これを数回繰り返し、計画された深さまで掘り進め、最後に中心部に通水工を設ける構造である。しかし、様々な要因が重なり、工事が中断され、未完成のまま放置されてしまったことが、他の地区で行われた発掘調査で分かった。ここは、排出した土が南北両側に残っており、堀の規模や形状をよく残してきている。女堀は、中世の土木技術を知る上で重要な遺跡である。前橋市内では現存する遺構のうち、ここを含め6地区が国指定史跡となっている。
前橋市教育委員会


前橋市飯土井地区の女堀・地図


前橋市飯土井町内の女堀(西側から東方)。中央が堀。右が排土でできた堤。
2013/12/30

前橋市飯土井町内の女堀(東側から西方)。
2013/12/30


説明板 2013/12/30

前橋市飯土井町内の女堀の堤(西側から東方)。
2013/12/30


前橋市飯土井町内の女堀の堀(西側から東方)。
2013/12/30


国指定史跡 女堀(二之宮地区・1)





前橋市二之宮町に残る2ヶ所の女堀史跡の地図

掲載日:2014/1/14 ▲ページTopへ
 前橋市二之宮地区に残る女堀史跡は2ヶ所あります。一つが、こちら、国道50号と群馬県道・大胡伊勢崎線との交差点(二之宮町)から北方へ150mほどの位置にあり、大胡伊勢崎線を挟むようにして残されています。現地に建つ説明板によれば(下記)、この場所は水田として利用されてきたとのことで、現状もそのような姿になっていて、堀の両側に排出土を盛った堤は残されていません。ただ、大胡伊勢崎線の西側には、堤の痕跡らしき姿を確認できます。(2014/1/14 記)

群馬県道・大胡伊勢崎線の両脇に残される女堀の説明板
(北側から南方。右側の白い部分が県道)
2013/12/30
現地に立つ説明板の内容を下記に示します。

指定年月日:昭和58年10月27日
所在地:前橋市二之宮町、荒子町
所有者:前橋市

 女堀は、赤城山南麓に前橋市から旧佐波郡東村まで、長さ約13km、幅15~30m、深さ3~4mの長大な堀跡である。この女堀の開削時期は、排土下に浅間B軽石(1108年噴火)が確認できることから、その噴火の直後とみられている。平将門の乱を平定した藤原秀郷を祖とする淵名氏が淵名荘の開発を目的として開削したものという説が有力。
 様々な要因が重なり、工事が中断され未完成のまま放置された。その後、ここは、水田として利用されてきた。女堀は、中世の土木事業の様子を今にとどめ、当時の優れた土木技術を知る上で重要な遺跡である。
 前橋市内では現存する遺構のち、6地区が国指定史跡となっている。
前橋市教育委員会

女堀(二之宮地区)の標識と説明板
2013/12/30


大胡伊勢崎線から西方。はるか後方には榛名山。
2013/12/30

大胡伊勢崎線から東方
2013/12/30


女堀(二之宮地区)の西側から東方
2013/12/30


国指定史跡 女堀(二之宮地区・2)

掲載日:2014/1/14 ▲ページTopへ
 前橋市二之宮地区に残る女堀史跡は2ヶ所のもう一つがこちらです。国道50号の二之宮町西交差点から北方へ300mほどの位置にあります。ブーメランのように弓型形状で、現地説明板によれば(下記)、この場所はため池として利用されてきたとのことで、現在もため池、あるいは湿地帯のような姿になっています。堀の両側には掘削排出土を盛った堤が良く残され、雑木や藪が茂っています。
 他地区の国指定が昭和58年であったのに対して、こちらは平成6年になっています。
 残された堀の延長は約600mあり、赤堀花しょうぶ園よりも僅かに長いようです。
 説明板によれば、女堀は桃ノ木川(昔は利根川)から取水して早川におとす計画だったとのことですが、この場所の西端部に立ち、現状の水の流れを確認すると、東から西方へ向かって流れています。現在の姿は当時の勾配とは異なるとは思いますが、女堀が未完成、未通水だった理由の中で、河川縦断勾配が十分でなかったと言う要因があったようで、ひょっとしたら、この水流の方向もそれを語っているのかも知れません。
 堀の両側の堤は良くその姿を留めていますが、雑木や藪の量が多く、冬の落葉時期においても薄暗く、散策道も整備されていないので、見学に出かける時にはそのつもりで。(2014/1/14 記)

二之宮地区に残る国指定史跡・女堀
区間の中央付近に設定されている標識と説明板
2013/12/30
現地に立つ説明板の内容を下記に示します。

指定年月日:平成6年8月15日
所在地:前橋市二之宮町
所有者:前橋市ほか

 女堀は、赤城山南麓に前橋市から旧佐波郡東村まで、長さ約13km、幅15~30m、深さ3~4mの長大な堀跡である。この女堀は、浅間山の大噴火(1108年)で被害を受けた大間々扇状地に、新たな水田を開くために、桃ノ木川(昔は利根川)から取水し、早川におとす計画であったといわれているが、様々な要因が重なり、工事が中断され未完成のまま放置された。その後、ここは、ため池として利用されてきたために比較的旧状をよく残している。女堀は、中世の土木事業の様子を今にとどめ、当時の優れた土木技術を知る上で重要な遺跡である。
 前橋市内では現存する遺構のち、6地区が国指定史跡となっている。
前橋市教育委員会

南側の堤の外側(東端部)
2013/12/30


南側の堤の内側(東端部)。
それとなく道がありますが、入って行くのは躊躇します。
2013/12/30

ため池状態の二之宮地区(2)(東端部から)。
隅には古い樋門があり、水が流れ出ています。
2013/12/30


区間中間部。水が溜まっていて、ちょっと怖い雰囲気。
2013/12/30

北側の堤
2013/12/30


中央:堤、右:堀の内側
2013/12/30


区間中間部。湿地帯状態。
2013/12/30


南側の堤
2013/12/30

堀の内側
2013/12/30


堀の内側
2013/12/30


堀の中央付近を流れる水(西端部から東方)
水流は東側から西方に向かって流れています。
2013/12/30



南側の堤
2013/12/30

▲ページTopへ

土橋用水災害復旧記念碑


土橋用水災害復旧記念碑
2013/12/30

二之宮地区の女堀史跡には、区間中央付近に
土橋用水災害復旧記念碑が建立されていて、碑の背面に、
この地区の過去の用水事業の経緯が記されています。
以下、その一部を転記します。
土橋水下灌漑水路復旧事業経過概要
昭和24年 荒砥川二之宮堰 樋門 暗渠 新設工事
昭和25年 大正用水荒口二之宮東入口樋門 新設工事
泉沢地内二之宮用水路復旧工事
原野一畝十一歩を水路用地として換地取得
昭和26年 御殿分水復旧工事
昭和27年 鶴谷沼復旧工事
昭和28年 橋堰及び水路復旧工事
昭和30年 泉沢地内 水路工事

女堀の標識と土橋用水の記念碑
2013/12/30



土橋用水災害復旧記念碑の背面
(クリックすると背面の文字部が拡大表示されます)
2013/12/30


女堀(二之宮地区)の南側の堤を南側から
2013/12/30


国指定史跡 女堀(富田地区)




掲載日:2014/1/20 ▲ページTopへ
 前橋市に残る6ヶ所の女堀史跡の最後の紹介はここ富田地区です。6地区の最も西側にあります。東側の二之宮地区から直線距離で1.9km、鶴谷沼から直線距離で1.4kmの位置です。車で行く場合の目安は、上武道路と群馬県道・藤岡大胡線の立体交差点から南方へ400mほどの位置です。
 私はざっと記憶した航空写真の地図を頼りに、適当にぶらりサイクリングしていて、偶然に見つけました。鶴谷沼から今井沼を経て、上武道路を横切り、荒砥川沿いの道を北上していたところ、西方に屋敷林に囲まれた集落があり、近付いてみると案の定、女堀でした。
 富田地区は、二之宮地区(2)ほどの深さはありませんが、堀部分が周囲の地面から一段低くなっていて、東西方向に川のように続いていること、また南側は個人の土地のようですが、まだ土手の名残が残っていることなどから、女堀であることが分かります。現地には藤岡大胡線沿いに標識と説明板(内容は下記に転記)が立っています。(2014/1/20 記)

女堀(富田地区)の地図

昭和49年の航空写真で確認できる女堀の痕跡

国指定史跡・女堀(富田地区)・標識と説明板
2013/12/30
現地に立つ説明板の内容を下記に示します。

指定年月日:昭和58年10月27日
所在地:前橋市富田町
所有者:前橋市

 女堀は、赤城山南麓の前橋市から旧佐波郡東村まで続く、長さ約13km、幅15~30m、深さ3~4mの長大な堀跡である。女堀には、「北条政子が掘らせた」という伝説があるが、その名にちなんで語り継がれたものと思われる。開発に伴う調査の結果、様々な要因が重なり、工事が中断され、未完成のまま放置されてしまったとみられるに至った。その後、ここは、水田として利用されてきた。他にも「女堀」と称する用水路がいくつかあるが、使用されなくなったものを一般的に「女堀」と称したのではないかと考えられている。女堀は、中世の優れた土木技術を知る上で重要な遺跡である。前橋市内では現存する遺構のち、ここを含めて6地区が国指定史跡となっている。
前橋市教育委員会

藤岡大胡線側から東方
2013/12/30

藤岡大胡線側から東方。右側が堤。
2013/12/30


女堀(富田地区)の東端から西方
2013/12/30

Site view counter since 2006/9/17


▲ページTopへ