Go!伊勢崎 倭文神社(しどりじんじゃ) [ 神社仏閣一覧 ]  [ Home ]




 画像掲載日:2009/5/16 写真下の日付は撮影日

由緒田遊び(伊勢崎市指定重要無形民族文化財)

群馬県伊勢崎市東上之宮町甲380 [ goo地図 ]

拝殿を南側から  2009/5/10
 2009/5/10、5月初旬とは言え、県内の中之条町と下仁田町で33度を超える真夏日を記録したこの日、伊勢崎市も負けず劣らずの暑さで、その気温の中、広々と耕地整理された水田が続く上之宮町をぶらりとサイクリングしていて、涼を求めて見つけた、それがこの倭文神社でした。

 境内はサクラ等のたくさんの木々に囲まれ、きれいに掃き清められ、清々しく静かな佇まいを呈していました。

 地域の大切な鎮守の杜です。

(2009/5/16 記)
主 祭 神 天羽槌雄命(あめのはづちおのみこと)
配 祀 神 倉稲魂(うかのみたま)命 木花咲耶姫(このはのさくやひめ)命 誉田別(ほんだわけ)命
菅原道真命 大己貴(おおなむち)命 素盞嗚(すさのお)命
豊受姫命 大山祇(おおやまつみ)命 菊理姫(くくりひめ)命

拝殿を南側から 2009/5/10

南側の通りから
 2009/5/10

 2009/5/10

南側の鳥居と参道と拝殿
 2009/5/10

本殿 2009/5/10
 伊勢崎絣のことを調べる用があり、2009/5/14、伊勢崎織物協同組合にその情報を求めて訪れてみると、いただいた資料「伊勢崎織物の歴史とそのあゆみ」の中に「伊勢崎織物の濫しょうは、古くは市内上の宮町に鎮座する倭文神社(垂任天皇三年創建)の祭神天羽槌雄命によると伝えられ、・・・」
とあり、1週間以内に市内の歴史遺産が繋がった偶然に驚いています。

拝殿を南西側から 2009/5/10





倭文神社の田遊び ▲ページTopへ

伊勢崎市指定重要無形民族文化財

倭文神社の田遊び

平成19年8月17日指定

 倭文神社の田遊びは、上之宮町の倭文神社で毎年一月十四日に行われる田植えの予祝行事です。
 笹竹を持つ祭員が笹竹を振り、ご神歌を奉唱しながら鳥居と拝殿を三往復した後、町内を巡行します。戻ると再び鳥居に整列し鳥居と拝殿を三往復します。
 昔は最後に参会者による笹竹の奪い合いがあり、この竹で蚕箸を作ると蚕が当たるとされていました。
 この田遊びのご神歌は中世期まで遡り、貴重です。

※境内の案内板の内容を転記

御 神 歌

エートウ、エートウ
前田の鷲が御代田にぎろり
ぎろぎろめくのはなんだんぼ
一本植えれば千本になる
唐々芒子(とうとうぼうし)の種

エートウ、エートウ
乾のすまの掃部(かもん)の長者
つじゅう十石ざらり
ざらざらめくのはなんだんぼ
一本植えれば千本になる
唐々芒子(とうとうぼうし)の種

神社由緒と田遊びの案内
 2009/5/10

倭文神社の田遊び [ 拡大 ]

倭文神社略由緒 [ 拡大 ]
 当社の御祭神は、天羽槌雄命(あめのはづちお)で、その歴史は古く機織の祖神として、また農耕、養蚕の神として尊崇されてきた。その創建は、人皇第十一代垂仁(すいじん)天皇の御宇三年と伝えられているが、これを明らかにする証跡は、現在不明となっている。
 貞観(じょうがん)元年(859)に官社に列せられ、従五位下を授けられた。(三代実録) その後、延長五年(927)に撰集された「延喜式」神明帳の中に倭文(しどり)神社の名が載せられ、上野神明帳には、「従一位倭文大明神」とあって、上野国の九之宮とも称された。
 その後、戦国時代の争乱にまきこまれ、一時荒廃したが 徳川氏の江戸入部以来 関東地方も次第に平和をとりもどし、元和年間(1615〜23)から寛永年間(1624〜43)に入る頃は、社殿も再建され、別当寺として、新義真言宗宮川山慈眼寺が定められ、住持実秀が別当となった。以後近世を通じ倭文神社は慈眼寺の管理下におかれた。三代将軍家光の慶安元年(1648)九月には、御朱印地十石を賜わり、漸く安定した神社経営が行われ、祭事も復興し、神威もいよいよ加わるに至った。その後約八十年を経て、享保十二年(1727)八月には、八代将軍吉宗から社殿再建勧進の許可を得て上野国はもとより、江戸府内からも浄財の寄進を仰ぎ、旧にまさる荘厳な社殿鳥居などが再建され、大いに隆盛をきわめた。しかし、この社殿も慶応二年(1866)十一月九日再度火災に会い、悉(ことごと)く灰燼(かいじん)に帰してしまった。
 現在の社殿はその後、明治十三年十月二十四日(上棟)に再建されたものである。なおさきの御朱印地十石の斎田は、明治維新の際上納され、また明治元年の神仏分離令により、別当寺や社僧の制も廃止され、神職によって祭祀される現在の姿となった。その後区内の小社祠の整理合祀も行われ、この間郷社に列せられた。また大正十四年には、神饌幣帛料供進社に指定された。
 今次大戦後は、国家神道や社格もなくなり、純粋な上之宮町の鎮守として今日に至っている。

神楽殿 2009/5/10

← 参道の左側の神楽殿



本殿の北西側にある境内社 →


境内社 2009/5/10

2009/5/10

 2009/5/10

清々しい新緑。

境内も広々として涼しい。

2009/5/10
 境内の南西側には弁財天神社が祀られています。左はその入口で、その奥に弁財天の祠(右側の画像)があります。

 祠の周囲はぐるりと溝が掘ってあります。この溝に水が溜まって、弁財天が島のようになり、蓮や菖蒲が咲いたりすれば、それもまた味わいのある風景になるだろう、とそんな空想をしたくなる風景でした。

2009/5/10

社務所 2009/5/10



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