秩父鉱山の今(埼玉県秩父市)   [ Home ]



秩父鉱山の今

全盛時には2千数百人が暮らした鉱山町

産業の衰退に伴って消滅。今も残される多くの住居跡群。

(埼玉県秩父市中津川字小倉沢)

動画で紹介今も残る建物群中津川沿いの風景現在操業中のニッチツ資源開発本部秩父鉱山簡易郵便局
地区内の標識いろいろ往時を偲ばせる住居跡道路脇に積まれた石灰石秩父鉱山の地図
更新日:2019/6/21 掲載日:2018/8/13
 埼玉県秩父市の西端に位置する秩父鉱山(秩父市中津川字小倉沢420)。北方2kmには群馬県との県境が、西方10kmには、1985年(昭和60年)8月12日、日本航空123便が墜落した御巣鷹山(群馬県上野村)があります。
 秩父鉱山の歴史は古く、1600年までさかのぼります。地下から上昇したマグマが主に石灰岩と反応してできるスカルン鉱床を形成し、その中から約140種類の鉱物を産出し、産業的にも、鉱床学・鉱物学的にも日本有数の鉱山だったようです。
 1937年(昭和12年)に日窒鉱業開発株式会社が買収し、3年後には本格操業を開始。1960年代には亜鉛、磁鉄鉱などを採掘し、最盛期には年50万トンを出鉱するも、1978年(昭和53年)には金属採掘を中止し、現在は株式会社ニッチツ資源開発本部が結晶質石灰石を採掘しています。

 現在は、工場施設の一部で操業しながらも、道路沿いの急峻な斜面に建造された往時の街の施設は解体され、一部が廃墟化して残っています。
 かつては2千数百人が暮らした秩父の山奥の鉱山町。産業の繁栄に伴って栄え、衰退していった鉱山町。道路沿いの廃墟群は今なお面影を残し、その中に身を置くと、当時の人々の暮らしが瞼に浮かび、賑わいが聞こえてくるかのようです。(2018/8/13 記)


秀峰寮跡。後方にそびえる両神山。ここから上流2km弱の位置に上落合橋登山口があります。 2018/4/14

秩父鉱山の鉱山町の歴史

(下記記事は、『秩父鉱山』(埼玉県立自然の博物館発行)を参照しました)

 秩父鉱山の鉱山町は昭和30年代〜40年代半ばに活況を呈し、従業員は500人以上、全人口2千数百人を数え、社宅は417戸、単身者寮が12棟、集会所、郵便局、診療所(歯科・内科・外科)、駐在所もありました。
 食料や生活必需品は索道で運ばれ、また鉱山町には数軒の個人商店もあり、秩父市から臨時出張販売も来て、野菜や生鮮食品も充実。
 鉱山町には大滝村立小倉沢小・中学校があり、多い時には500名弱の児童が通学。
 集会所では毎日曜日、昼夜2回の映画が上映され、5月には3日間鉱山を休業にして「山神祭」、8月には七夕と盆踊り、10月には小中学校と会社の合同運動会、12月にはクリスマスのダンスパーティーが行われ、冬季には川を堰き止めてスケートを楽しんだりと、四季折々の行事が行われました。
 そんな秩父鉱山の鉱山町も1973年(昭和48年)、道伸窪(どうしんくぼ)鉱床の採掘が終わり、従業員も100人以下に激減し、急速に衰退。

動画で紹介


秩父鉱山の今 2018/4/14(5分34秒)

今も残る建物群

区域内には社宅や独身寮など、いくつかの建物群が残されています。
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急峻な斜面に建つ住宅 2018/4/14



道路から見上げる高さの位置に建つ建物 2018/4/14

急峻な斜面に建つ住宅 2018/4/14



道路から見上げる高さの位置に建つ建物 2018/4/14



垂直に積まれた石積擁壁の真上に建つ建物 2018/4/14

中津川沿いの風景

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満開のミツバツツジ 2018/4/14

満開のミツバツツジ 2018/4/14



道路脇の滝 2018/4/14

現在操業中のニッチツ資源開発本部

中津川左岸の急斜面に、勾配に合わせて建物が建っています。
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現在も操業中のニッチツ資源開発本部 2018/4/14

現在も操業中のニッチツ資源開発本部 2018/4/14

秩父鉱山簡易郵便局

( 〒369-1903 埼玉県秩父市中津川556-1)
廃墟の村の郵便局として、また秘境の郵便局として、人気の郵便局です。
2018年8月現在一時閉鎖中(発表日:2018年6月5日)

掲載日:2019/6/21 ▲ページTopへ
 2018年6月5日から一時閉鎖中の秩父鉱山簡易郵便局。2018年11月2日に訪れた時には、入口の上部に架かる「秩父鉱山簡易郵便局」の看板と、天井から吊り下げられた「〒」マークの看板は残されていましたが、先日2019年6月12日には、これらの看板が全て撤去され、ここが郵便局の建物であったことを示すのものが消え去りました。
 秘境の郵便局として人気だった郵便局。秘境や郵便局ファンにとっては復活が待ち遠しいことでしょうが、外野席ながら費用対効果を考えると、復活は厳しそうです。
 かつて2千数百人が暮らした炭鉱町。今なお多くの建物が廃墟化して残されています。秘境の街として蘇れば大きな話題となることでしょう。(2019/6/21 記)

閉鎖中の秩父鉱山簡易郵便局 2019/6/12


閉鎖中の秩父鉱山簡易郵便局 2019/6/12


閉鎖中の秩父鉱山簡易郵便局 2019/6/12

閉鎖中の秩父鉱山簡易郵便局 2018/11/2


閉鎖中の秩父鉱山簡易郵便局 2018/11/2

営業中の秩父鉱山簡易郵便局 2018/4/14

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秩父鉱山簡易郵便局 2018/4/14


秩父鉱山簡易郵便局 2018/4/14

取集時刻は日曜日を除く10:15

取り扱い業務

秩父鉱山簡易郵便局 2018/4/14


秩父鉱山簡易郵便局。後方はニッチツ資源開発本部の工場 2018/4/14

地区内の標識いろいろ

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金山志賀坂(きんざんしがさか)林道(起点)

秩父市指定避難場所・ニッチツ資源開発本部

小倉沢区 2018/4/14

標高=864m 2018/4/14

往時を偲ばせる住居跡

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第一合宿「丹岫寮」跡 2018/4/14


第一合宿「丹岫寮」跡 2018/4/14


社宅跡 2018/4/14


秀峰寮跡 2018/4/14

道路脇に積まれた石灰石

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谷間と石灰石と青空 2018/4/14

白砂の海岸のよう

まぶしいほどの白さ

秩父鉱山の地図

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秩父市中津川字小倉沢420 (c)Google Map



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