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文化財名 脇差 銘 正俊
(わきざし めい まさとし)

 文化財事項                                                              
指定内容 県指定重要文化財 指  定 昭和38年9月4日
記号番号 県重文第72号 所有者管理者 牛込 喜一
所 在 地 今泉町二丁目938−4 初 期 地 不明
形  状 長さ33.5p 反り0.4p 目釘穴2個 平造り 三棟
年  代 近世 江戸時代 銘 表「山城国住越中守藤原正俊」裏「慶長五年二月日」(1600)正俊は桃山時代の京都三品派の刀工。
文化財注記 正俊は美濃国関の出身の刀工を父とし、彼の兄弟三人も刀工である。三品は正式には「ミシナ」だが通称「サンピン」
関係資 1.三品系における刀の特色     2.刀の名称と計測

 書誌事項

分類番号 書            名 バーコード 所 在 場 所
K209グ 群馬県文化財図録−重要文化財編− 132頁 101819276 一般
756ト 刀剣 132頁 101015866 一般
R210ニ 日本歴史大辞典 212頁(「さ」の項) 101043165 調査
756シ 日本刀通観  416〜417頁 101052929 一般
K709グ 群馬の文化財−美 ふるさとを誇る 106頁 101819341 一般・調査

書誌注記 上記のうち「銘 正俊」に関する図書は『群馬県文化財図録』である。あとは刀工の流派などの事項が記載されている図書である。正俊に関しては、得能一男 『脇差入門』(光芸出版 昭和50年)146〜148頁参照)756ト『刀剣のみかた』 178〜179頁も関連の内容がある。
                                                                        

脇差 銘 正俊関係資料 1
 
 事 項  藤原正俊の作刀の特色
 文 献  『日本刀全集5 日本刀著名工の見どころ』(徳間書店社 昭和42年)153〜155頁
越中守正俊
 桃山時代の関[岐阜県関市地方−引用者]鍛冶を代表する刀工の多い中で、山城において名実ともにその代表者は正俊であろう。桃山時代における関鍛冶の進出は目ざましいものであったが、正俊のほかに加州では兼若、尾張には氏房および政常、越前には兼法らがいる。なかでも中央の山城において、関兼道を祖とする三品一門がとくに有名である。
ほかに正俊の三兄、伊賀守金道、越後守来金道、丹波守吉道らが意気盛んであり、以後も京・大奴の中枢となって発展している。
 正俊の門人からは新刀大和伝柾目肌の奥州仙台国包が出て、後代まで栄えた。
 この兼道を祖とする三品一門の特徽は、関伝の尖り互の目のような地味な作風を、桃山朝はなやかな相州伝に作風を変えたところにある。
 長兄、次兄の両金道は、地味な関ふう尖り互の目を、小沸出来の明るい互の目乱れの刃文に焼きかえ、吉道は沸出来砂流しまじりの暴れた派手な相州伝の刃文を焼き、正俊は先祖伝来の志洋風相州伝をもう一段にぎやかに作りあげている。
 三品兄弟共通の特徴は帽子にあり、横手から直手に少したるむ三品特有の刃文の帽子は、三品一門の特色である。
 桃山期の相州伝を見るとわかるが、堀川国広は相州伝上位をねらい、吉道は沸深の砂流しまじり、大いににぎやかで、暴れた刃をねらい、正俊は尖り刃砂流しまじり、小沸出来の古作志津ふうの作品をねらっている。それは、出羽大橡国路の作風に似るが、正俊のは尖り刃や刃文が少しこずむ。国路のは互の目が沸出来で、大乱れの派手な出来のものが多い。
 また、正俊には直刃もあり、匂の締まり気味で小足の入った関の直刃然としたものと、小沸出来で刃縁ほつれの大和ふうのものと二とおりのものとがある。
上:正俊の三品帽子
上:越中守正俊=板目肌流れる小互の日乱れ。出入りはげしく砂流し、金筋もまじる。元来の地味な関の乱れを、ここまではなやかに表現して、先祖志津三郎の名を高からしめた。
上:正俊平造脇指=柾目ふう沸出来の互の目丁子足よく刃中に入り働く、平造りにおいて三品帽子の特徴であるタルミとなる。
下:越中守正俊 正真銘