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54 文化財名 丸塚古墳
(まるづかこふん)

 文化財事項                                                            
指定内容 市指定遺跡 指  定 昭和52年+9月3日
記号番号 文伊教文第37号 所有者管理者 内藤まさ子他12人
所 在 地 伊勢崎市三和町2448 初 期 地 当初より 
形  状 標高85.4m 比高差約10m 全長81m 主体部いは凝灰岩2基 緑泥片岩1基の組み合わせ式石棺があつた。 
年  代 古代 古墳時代 大型の帆立貝形古墳で5世紀後半の築造と考えられる。
文化財注記殖蓮地区は市内最大の古墳地域である。丸塚古墳は、この地域で最大のものである。なお、近くに恵下(エゲ)古墳、高山古墳などがある。西方500mの所に上植木廃寺がある。
関係リンク  古墳分布図

 書誌事項
分類番号 書            名 バーコード 所 在 場 所
K224イ 伊勢崎市史 通史編1 169 201〜205頁 101801918 一般・調査・書庫・プ(収)赤(郷)・あ(郷)・境(郷)
K210グ 群馬県史 資料編3 577〜581頁 101801551 一般・調査・プ(収)赤(郷)・あ(郷)・境(郷)
R210ニ 日本古墳大事典 541頁 101821804 調査・赤(レファレンス)・境(一般参考)
K224グ 上毛及上毛人221号 昭和10年 18〜22頁 101800854 調査・書庫・あ(郷)・境(郷)
K202グ 目で見る群馬の遺跡 111頁(上空からの写真) 101821864 書庫・境(郷)

書誌注記 『群馬県史』『伊勢崎市史』が基本的文献である。なお、丸塚古墳について『市史』は帆立貝形古墳 『県史』は前方後円墳と表現している。
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丸塚古墳関係資料

           丸塚古墳概要

 『群馬県史』「資料編3」「原始古代3 古墳」377頁より。原文は縦書きなので、漢数字を算用数字((横書き)とした。この後に、「内部構造」が続くが、それは、『群馬県史』を参照されたい。

立地
 赤城山南麓に見られる台地と谷地による複雑な地形は、標高75メートルの当地においても見られ、桑園等に利用されている低台地と水田として利用されている低地とが入り組んでいる。
 古墳はこの低台地の先端(南端)に占地し、その東西には幅約50メートルの低地があり、これが本古墳の南で合してる。この東西の低地をへだててさらに低台地が続いているが、この台地上には、昭和10年の分布調査で多くの古墳が確認されている。また、西方約500メートルのところには上植木廃寺跡がある。
墳丘およぴ外部施設
 低台地上に積土して構築した前方後円墳で、主軸はほぼ南北方向(北6度東)にとっている。
 墳丘には葺石を葺き上げていたようであるが、その全貌は未調査で明らかでない。また、その根石はトレンチにおいても確認できなかった。墳丘を現状においてみると、全長81メートルも後円部径58メートル、同高さ8メートルに対し、前方部前幅26メートル、同くびれ部幅41メートル、同長さ27メートル、同高さくびれ部で2.5メートル、先端で1メートルと、後円部に対して前方部が幅、長さ、高さともに規模の小さいものである。また、前方部幅はくびれ部が最も広く、先へいくにしたがって徐々に縮減する。
 埴輪は、各トレソチにおいて破片は確認されているが、いずれも原位置ではなく、その配列の状態は明らかでない。
 周堀は、後円部周辺では現状でも地割りの上でその存在を確認できるが、前方部周辺ではこの地割りがくずれている。前方部前面に入れたトレソチで幅12.4メートル、深さは中央の最深部で1.3メートルに周堀が確認され、後円部周辺の地割りからみると幅13〜15メートルに周堀跡がみられるので、幅13メートル前後の周堀が馬蹄形にめぐつていたものと考えられる。
左上 丸塚古墳墳丘実測図 原資料を見やすいイメージとすると、巨大なものになってしまうので、石棺と等高線については修正をした。
右上 『群馬県史』の該当部分
左下 右下は、丸塚古墳の写真である。平成9年5月初旬