教育関係碑地図 華蔵寺公園所在文化財及び石碑地図

碑文名

板垣源次郎先生胸像台座


 胸像台座事項
分  類 3社会科学−37教育 所在他 伊勢崎市 華蔵寺公園遊園地東
形 状 等 設立者
建碑年代 近代 大正時代 大正14年7月4日(台座に日付有り)
碑文注記 胸像は戦時中供出され台座のみ残る。絵はがきに残る胸像(胸像建設記念)
関係リンク 板垣源次郎略歴

 書誌事項
分類番号 書            名 バーコード 所 在 場 所
K204コ 国史研究三代 101801358 一般・調査・書庫 @
K289.4イ 板垣源次郎先生建設紀念 101224166 調査 A
K371イ 板垣源次郎先生視聴録 101820075 書庫 B
K029イ 板垣源次郎先生図書目録 101800469 調査 C
K224イ 伊勢崎の思い出 1018019719 一般・調査 D
 
@板垣源次郎の史観が述べられている。茨城県龍ヶ崎中学校長であったため、北畠親房の研究もしている。
A胸像の建設経過とともに、『国史三代研究』を出版した理由も著述されている。
B宇津木与平氏は若き頃伊勢崎尋常高等学校の教師で、その時の校長が板垣源次郎であった。
C板垣源次郎が亡くなり、遺族から伊勢崎図書館に著書を寄贈していただいたが、その目録の可能性が高い。
D未至磨(みしま)大州は、板垣源次郎が時の伊勢崎町長石川泰三から破格の待遇で伊勢崎尋常小学校に招聘されたとき、龍ヶ崎女学校の教頭であったが、源次郎に請われて同小学校教頭になった。板垣源次郎が亡くなった後、校長に就任した。未至磨は長く校長を勤め、退職後職業紹介所の所長となった。戦争中出身地のいまのつくば未来市に帰った。伊勢崎でも「石川泰三墓」(寿蔵)を撰文を書くなど、板垣源次朗と同様多のの碑文を残した。戦争後は、村の教育長を務めた。
K372イ『群馬県教育史 別巻(人物編)』648〜649頁(101806774 調査相談室)もあるが、これは『群馬人国記』からの再引用


板垣源次朗胸像先生台座

台座前部

台座後部

現地説明版 2018/3/29