教育関係碑地図 | 華蔵寺公園所在文化財及び石碑地図 |
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胸像台座事項
書誌事項
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@板垣源次郎の史観が述べられている。茨城県龍ヶ崎中学校長であったため、北畠親房の研究もしている。 A胸像の建設経過とともに、『国史三代研究』を出版した理由も著述されている。 B宇津木与平氏は若き頃伊勢崎尋常高等学校の教師で、その時の校長が板垣源次郎であった。 C板垣源次郎が亡くなり、遺族から伊勢崎図書館に著書を寄贈していただいたが、その目録の可能性が高い。 D未至磨(みしま)大州は、板垣源次郎が時の伊勢崎町長石川泰三から破格の待遇で伊勢崎尋常小学校に招聘されたとき、龍ヶ崎女学校の教頭であったが、源次郎に請われて同小学校教頭になった。板垣源次郎が亡くなった後、校長に就任した。未至磨は長く校長を勤め、退職後職業紹介所の所長となった。戦争中出身地のいまのつくば未来市に帰った。伊勢崎でも「石川泰三墓」(寿蔵)を撰文を書くなど、板垣源次朗と同様多のの碑文を残した。戦争後は、村の教育長を務めた。 K372イ『群馬県教育史 別巻(人物編)』648〜649頁(101806774 調査相談室)もあるが、これは『群馬人国記』からの再引用 |
板垣源次朗胸像先生台座 |
台座前部 |
台座後部 |
現地説明版 2018/3/29 |