2014年6月、「富岡製糸場と絹産業遺産群」が世界遺産に登録されました。ご当地伊勢崎市にもその構成要素「田島弥平旧宅」があります。またいせさき明治館では伊勢崎銘仙の様々な企画展が開催され、市内外に絹製品の魅力を発信しています。 当サイトでもこれらを取材し、時には山形県の松ヶ岡開墾場や、長野県の岡谷蚕糸博物館を訪れ、当サイトで紹介し、少しずつ絹産業に対する知識が増えていますが、個々のページの趣旨と外れていたりするなど、いくつかの理由で紹介できなかった項目もあります。 このページは、そのような、気になりながらも紹介し切れなかった絹産業に関する項目を、備忘録として書き残すために起こしました。(2015/1/24 記) |
生皮芋と比須(キビソとビス)人生、稀には驚くばかりの偶然と言うものが起きるものです。先日1月15日、ふるさとさんに誘われて長野県の岡谷蚕糸博物館を訪れた時、宮坂製糸所のスタッフの方と「キビソとビス」のことについて話を交わしました。その時、「ところでキビソとビスってどう言う漢字を使うのでしょうか」と問うと、「『キビソ』の『キ』」は生糸の『生』と思いますが、他の漢字はちょっと・・・」とのこと。蚕糸業に詳しい方たちならばきっと知ってるキビソとビスと言う言葉。でも漢字となるとおぼつかないことが多いようです。その事が頭の片隅に追いやられる間もない先日1月21日、伊勢崎明治館でスタッフの皆さんとお喋りし、岡谷製糸場の企画展のことなどを話題に出したついでに、 「ふるさとさんと、『碓氷製糸工場と新町紡績所跡地も訪ねてみたいね』って言ってるんですよ」 と伝えると、「ちょっと待ってて」と、明治館の金井さんが一冊の本を持って来ました。 「何ですか、この本?」 「色々勉強しようと思って、ずいぶん前に古本屋で買ったの」 とのこと。金井さんが開いたページには「新町紡績所」のことが記述されています。お喋りしながらつらつらと文字を追っていると、な、な、何と、キビソとビスの文字が書かれているじゃありませんか。しかも漢字付きで。驚く〜! 「生皮芋と比須」。意味は両者共、繭から紡ぐ糸のある部分を指し、 ●糸口から5,60mの部分は汚れていて細く、生糸としては使えない。これが生皮芋(きびそ)。 ●最後尾のサナギに近い部分もサナギ脂が付きやすく、生糸としては使えない。これが「比須(びす)」。 とのこと。これらの部分が全体の7,8%を占めているとのことで、新町紡績所はこれらに加えて他のくず繭を利用する道を開拓したようです。(2015/1/24 記) |
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本の一部を引用。愚かにも本の題名や出版社をメモしてくるのを忘れてしまいました。 読売新聞社の出版だったように記憶していますが後日改めて紹介します。 |
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本の一部を引用 |
く ず 繭 利 用 の 道 開 く | 第 二 の 官 営 模 範 工 場 |
新 町 紡 績 所 |
八丁撚糸機(はっちょうねんしき)昨年(2014年)12月23日、絹産業マイスターのふるさとさんの案内で「群馬県立日本絹の里」を訪問しました。「まゆクラフトと絹の作品展」を開催中(*1)で、ふるさとさんが以前校長として就任していた伊勢崎市立境島村小学校の児童たちと「みちくさ塾」制作の繭クラフトも出品されていて、その見学を兼ねての訪問です。恥ずかしながら、私はこの日が初訪問。絹産業を学び始めると、必ずどこかで話題になる「日本絹の里」。ずっと訪れたいと思いながら今までその機会がありませんでした。この日、「日本絹の里」プロデューサーの土屋さんにお会いし、世界遺産登録で一躍有名になった群馬県の絹産業について、全国各地からの訪問者が、富岡製糸場だけじゃなく、他の絹産業遺産や「日本絹の里」などの関連施設に対しても見学の足を伸ばしてくれるよう、各所・各機関と連携して様々なことを企画したい旨のお話などを伺い、微力ながら絹産業について取材・紹介している私も大いに共感したところです。 ところで今回紹介するのは、同施設で展示されていた八丁撚糸機(はっちょうねんしき)。またまた恥ずかしい話ですが、八丁撚糸機を知ったのはこの日が始めてのこと。ふるさとさんは既に微細に亘り知っていて、説明員のスタッフさんとの会話も丁々発止の勢い。私は二人の話を聞きながら、始めて目にする不思議な機械に頭の中がグルグル回り、絹産業を学習中の生徒として、まだまだ劣等生であることを自覚したところです。 八丁撚糸機の歴史やメカニズムについてはこちらのサイトに(*2)詳しいのでここでの詳述は避けますが、八丁撚糸機とは、天明3年(1783年)、岩瀬吉兵衛が発明した水力利用の撚糸機。八丁撚糸機は多くの錘(つむ)を備え、それぞれに糸を付け水車の動力で回転させるため、従来の機械と比べて能率が良く、均一で良質な糸を生産することに成功。この八丁撚糸機が一般に普及するのは明治10年(1877年)以降といわれています。八丁撚糸機は「八丁撚車」あるいは略して「八丁」と呼ばれていますが、その語源は「口八丁、手八丁」とのこと。「達者」に多くの糸を撚ることができる機械ということのようです。 私が最初に感激したのはその形状。橋梁の形式で「斜張橋(しゃちょうきょう)」がありますが、主塔から斜めに張るケーブルの張り方で「ハープ型」があり、まさにその形と同じだったからです。 ここに展示されている機械は実稼働はできないとのことですが、桐生市においてはまだ現役で稼働しているとのこと。八丁車に張られた30本の釣瓶が、カタカタ、クルクルと回転し、その先の管に巻かれた絹糸が次々に撚られていく光景を想像すると、いつの日か、現役中の工場を見学してみたい想いに駆られました。(2015/1/25 記) ※この日、「日本絹の里」から撮影許可をいただいて撮影しています。館内は撮影禁止です。 (*1)「群馬県立日本絹の里」(高崎市金古町888-1)、第69回特別展「まゆクラフトと絹の作品展」 会期=2014/12/13〜2015/2/2 (*2)桐生市老人クラブ連合会とNPO法人桐生地域情報ネットワークが運営。 |
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八丁撚糸機 2014/12/23 日本絹の里、銘板のオブジェ。 2014/12/23 日本絹の里、北側の施設 2014/12/23 |
八丁車。30本の釣瓶がハープのように張られています。 2014/12/23 2014/12/23 日本絹の里、正面の施設 2014/12/23 |
”動物パラダイス☆” カイコちゃん賞受賞 伊勢崎市立境島村小学校の児童たちと 「みちくさ塾」制作 |
作品・”動物パラダイス☆” |
伊勢崎銘仙に関する論文: ”1920年代の銘仙市場の拡大と流行伝達の仕組み”, 山内雄気氏(一橋大学大学院商学研究科博士課程後期課程) 独立行政法人 科学技術振興機構 J-STAGE のページが開きます。 |