上毛新聞に掲載された笠松に関する記事
1997,06,06,1,フロント,写真(この頁には掲載しない−引用者),,連載
《巨樹古木めぐり》(3) 伊勢崎の連取の笠松
 所在地 伊勢崎市連取町
 根回り 四・五メートル
 樹高 五メートル
 枝張り 三十三メートル
 樹齢 約三百年
 連取の笠松は、千七百二十八年に植えられたクロマツの老木で「天神松」とも呼ばれている。
 江戸時代、連取の領主だった駒井氏の代官飯島一覚が、現在地の南方にあたる韮塚町諏訪の原から移植したものと伝えられている。
 亀甲状の樹皮をした根回り四・五メートルの主幹は、竜のようにうねり、直径三十メートル以上にも張り出した枝葉の雲海を泳ぐ。一九五三年に県の天然記念物に指定され、毎年十月に地元の人たちが手入れをしている。

1997,06,19,22,社会,写真,,(写真は掲載しない-引用者)
伊勢崎「連取の笠松」 樹齢300年 300軒の熱意実る 
地域の宝守り70年 市が保存整備 伊勢崎市連取町の菅原神社にある樹齢三百年、県天然記念物「連取の笠松」を、伊勢崎市は十月、本格的に保存整備する。老松は枝が竹笠を伝わるように伸びていることから「笠松」と呼ばれ、市内小学校の遠足地にもなっている。地元住民は七十年前から私財を投じたり、近くの家庭が手入れ担当者を決めて保存に情熱を注いできた。松くい虫の被害で十五年前に一時枯れる危機に見舞われたが、住民の熱意で隆盛を取り戻した。昨年の調査で土壌改良の必要性が指摘され、伊勢崎市も保存整備に乗り出すことになった。
 連取の笠松は菅原神社社殿の正面にあり、樹高五メートル、根元の周囲四・五メートルのクロマツ。枝張りは円形状に三十三メートルあり、付近には松をほめたたえる句碑や詩碑が建立されている。
 市教委が昨年、専門家に松の調査を依頼したところ「土壌を改良する必要がある」と診断された。
 松の整備時期は十月上旬の一週間。約百五十万円をかけ、主に土壌改良を図る。松の根元や周辺の土を掘り起こし、空気を入れ替えながら、有機化成物などを施す。朽菌対策として殺菌剤やパテの注入も計画している。
 市教委によると、連取の笠松は一七二八年(享保十三年)、当時領主だった旗本駒井氏の代官・飯島一覚が現在地の南方にある同市韮塚西の諏訪の原から移植したと伝えられている。神社は武勇の神として知られ、戦争中は出征兵士が必勝祈願に立ち寄るなど住民とのかかわりは深い。毎年十月に開く秋祭りの前に、松を手入れするのが伝統行事となっている。
 連取町前区長の猪瀬康夫さん(78)は「松の保存整備は大正末期から始まった。近くの農家有志が竹と荒縄を持ち寄り、笠を造ったりした」と話す。戦前は地主が神社参道を私費で拡張するといった支援もあり、一九五三年の県天然記念物の指定で、保存運動はいわば公認の形になった。現在は地元の約三百軒の家庭が協力。それぞれ手入れ担当者を決め、毎年十月上旬に松の手入れをしてきた。
 伊勢崎市教委は「大がかりな補修は初めて。十月十七日の秋祭りには間に合わせたい」としており、猪瀬さんも「新住民の間から家庭ごとに担当者を選ぶ方式に批判的な意見も出たが、地域の宝はみんなで守ろうという声が大勢を占めている」と現状を指摘、市が地域の宝を補修することを歓迎している。
(写真説明−)本格的に保存整備される「連取の笠松」

2007,10,16,15,中北毛,,自社,
「笠松」500人で手入れ 伊勢崎連取 支柱交換、除草も
 伊勢崎市連取町の菅原神社社殿前にある県指定天然記念物、連取のマツの手入れが十四日行われた。地区の住民ら約五百人が地元の誇りとなっているマツ周辺の除草作業などに取り組んだ。
 連取のマツは樹齢三百年を超えるクロマツで、樹高五メートル、目通り四メートル、枝張りは東西三五メートル、南北二六メートル。一七二八(享保十三)年、旗本駒井氏の代官、飯島一覚が韮塚町の諏訪の原から移植したと伝えられる。
 地元では「笠松」と呼ばれ、毎年十月に手入れが行われている。参加した住民らは広がった枝を支える竹を新しいものと交換して縄で結び直したり、除草作業をして樹勢が衰えないよう作業した。