森村采園について
  森村采園
佐波郡宮郷村連取の書家にして、姓大江、諱は嘉教、通称米治、采園は其画号なり、桂兵 
衛の次男にして、二世老松館瀧素の弟なり、享和元年を以て郷里に生る。幼より画を好み
始め伊勢崎藩士下山茂左衛門玄凉に就て、絵画を学びしが、師玄涼故ありて、野州足利に
退去す、由て笈を東都に負ひ、岡田閑林を師とし、更に画道を修め、其奥義を極む、帰郷
後需に応じ、雄筆を揮ひ、伊勢崎町華蔵寺八方瞰の龍、同町本光寺蔵涅槃像等人目に周く
亦連取村宝幢院正門二仙女は、文政六癸末の揮毫にして、采園二十三歳の作に係る。天保
三壬辰年、年三十三歳にして分家し、明治六癸酉年三月二十八日、病で没す、享年七十三
西開院釆園嘉教居士と諡し、先塋の側に葬る。嗣子琴治相続す、実に俳匠老松館三世嘉定
是なり。
采園、白瀧姫の絵を画く、
山田郡川内村仁田山に機神として、地方人の崇敬せる白瀧姫の祠あり、釆園の弟に官十
郎愛斎なる者あり、兵学を修め、仁田山地方に数十人の門弟あり、此縁故により、采園
依頼せられ、おだまきを手にせる白瀧姫の絵図を描けりと云ふ、桐生地方今に其絵画の
刷物、存するを見るべし。〔曾孫森村高次氏報〕
 (K281コ『上野人物誌』(1018110306)235〜236頁 原書縦書き)より

連取村宝幢院正門二仙女