Go!伊勢崎
近 藤 藏 人 美術館

美術館(人物1)美術館(人物2)美術館(動物)美術館(風景)伊勢崎市街中遺産建築音楽と本プロフィールHome




グローバリズムの罪

掲載日:2013/6/24
中国映画には、心沁み入る良い映画が多くある。
友人は、護憲なんか時代遅れだ。中国に対抗しないでどうすると、息まいている。
新大久保のヘイトスピーチの話をすると、日本人はそんなことはしない、「右翼がやっているのだろう、日本人はするはずがない」と大久保の騒ぎを信じない。
一向一揆、関東大震災の暴動は大昔の話だ。
中国映画を薦めると、中国も韓国も嫌いだから見ないと言う。
その偏見と右傾化した民衆の少数が、ヘイトスピーチの主人公だろうが、友人もその一躍を買っていることに気づいたろうか?
今は世を上げて、改憲をつぶやいている。
世界に「徹底平和と戦争放棄の憲法とその護憲」のことと、「平和憲法を改憲して国防軍を持つ」その二つどちらを選ぶか聞いてみたらいい。


中国映画「桃さんのしあわせ」に料理場面がある。
中国鍋にお湯が沸騰し、中に、塩、細かく刻まれたセロリの葉、玉ねぎ、ニンジンの皮、にんにく、トウガラシを入れ、その中に大きな丸のままの牛タンが流し込まれる。
その後オイスターソース、酒、みりんで、小一時間ことこと煮る。
牛タン煮込である。
冷蔵庫で冷やされた牛タンは、60年も続けてメイドをしている桃さんが造り置いたものだ。
発作で倒れた桃さんの入院中、主人公の親しい仲間達は何かないかと冷蔵庫を開け、持ち出し、細かくスライスし、それを奪い合い、舌なめずりしながら、冷やされた牛タンを食べている。
桃さんの造った料理のおいしさや懐かしさを語りあい。
あのときの、鴨の詰め物は、美味しかった。
カニの蒸もの、カニのスープ、いも菓子、
何と言っても、牛筋が一番だ、などと会話しながら牛タンを食べている。
見ているこちらも味わっているような感慨がある。

映像を見ていて不思議に思うのは、食べている姿にケレン味がないことである。
嫌味を感じないのだ。ほんにおいしそうだ、とだけ感じるのだ。
彼らの国にも、他国の料理が侵入してきているだろうが、自国の歴史の中から生まれた料理に満足し、ほれ込み、ああウマかったと感嘆する。
主人公の映画プロデューサーは、家ではスープから最後の甘い物まで桃さんが作った食事はすべて食べ尽くすが、外では、食事はしない。
禁欲的な程、食い意地が張っているのかもしれない。

僕たち日本人が、食べ物の話となると、フランス料理だ、イタリア料理だと、世界の料理が、それも一流と言われる外で食べる料理の話となる。
中国で食べる中華より、美味しい中華が食べられると言う人もいる。
しかし、桃さんの料理のように、自然体で、気もち良く、懐かしく美味しい料理に舌づつみを打つことはないと思われる。
江戸時代から、味噌、醤油、こしょう、ゆず、さんしょう、しそなど、味を変化させる物を加えた素材の味を、質素に食べていた。
一汁三菜ということである。



食の喜びは、隠されるものだったのだろう。肉類は食べなかったのだ。
日本でのそういう食の話は卑しいという教えがあった気がする。
日本のお手伝いさんが、桃さんのように美味しい心のこもった三菜を作り、そこの御主人が舌鼓をうっているとしたら、谷崎潤一郎が戦時中岡山でこっそりすき焼きを食べている場面は、食い意地が張っているとは思っても卑しいとは思わなかった。
中国では、今でも市場があり、趣向に応じた食材が手に入るが、日本ときたら、スーパーと言う、最低の金額で販売する処でしか買うことが出来ない。(群馬の片田舎のせいでもあるが)
桃さんは、ごったがえした市場の中のお店の冷蔵庫に入ってでも、美味しい食材を選別する。
日本では、京都だとか限られた場所でしか、良い食材は手に入らないと思う。
だから、美味しい物は、自宅で食べるのではなく、お店で食べるしかないのだ。
そうして、簡単に済ませる家庭料理と、おめかしして食べる外食か、チェーン店で済ませる食事をとることとなった。
そのことに、いやしみが宿っているのだ。
「あそこに美味しいお店がある」と探し回り、聞き耳を立て、情報を集める。
食べたことのない料理に舌なめずりし、街に出かけるには、食べもの屋をネットで調べる。浅ましいのである。いやしいのである。
恥ずかしく感じるのだ。
これは、一つの不幸である。
僕たちには、ローカルなソールフードを美味しく食べることが出来なくなっているのだ。

実際に新築された家庭には、見栄えの良いキッチンはあっても、湯沸かしとはさみとレンジで食事はすまされると、研究報告がある。
朝は忙しいので、ミニカップ麺、休日の昼は多種類あるカップ麺の内、好きなものが選べる。夕飯は、コンビニ弁当。
3時のおやつは、子供の為に、クッキーなど手作りする、総じて買い食い状態だが、ご本人は、私は子供のことを思って、料理を作っていると見解を述べている。(岩村暢子著、普通の家庭が本当に怖い)
さすが、還暦も過ぎる世代は、食材を切り、煮炊きする家庭が多かろうと思うが、冷凍食品が優位な食事が多いと聞く。
その上、僕たちが家庭で煮炊きして作る物は、カレー、ハンバーグ、ラーメン、焼きそば、スパゲッティ、どこに歴史がある食べ物があるか?

今家庭で食べられる、和食とはどのようなものなのだと、疑わなければならない。
日本の和食は、お店で食べる料理である。
フランス料理やイタリア料理と同じ外食産業である。
明治以降徐々に作りだされたものだ。
フランス人が和食を研究に来ているが、和食はそこまで成長したのだ。



内田樹はそれらの原因を書いている、長文だけれど掲載する。
「今、私たちの時代はグローバリズムの時代です。
世界は急速にフラット化し、国民国家のもろもろの「障壁」(国境線、通貨、言語、食文化、生活習慣などなど)が融解し、商品、資本、人間、情報があらゆる「ボーダー」を通り越して、超高速で自由自在に行き来しています。
このままグローバル化が進行すれば、遠からず国民国家という旧来の政治単位そのものが「グローバル化への抵抗勢力」として解体されることになるでしょう。
国民国家解体の動きはもうだいぶ前から始まっていました。
医療・教育・行政・司法に対する「改革」の動きがそれです。
これらの制度は「国民の生身の生活を守る」ためのものです。
怪我をしたり、病気をしたり、老いたり、幼かったり、無知であったり、自分の力では自分を守ることができないほど貧しかったり、非力であったりする人をデフォルトとして、そのような人たちが自尊感情を持ち、文化的で快適な生活を営めるように気づかうための制度です。
ですから、これらの制度は「弱者ベース」で設計されています。
当然、それで「儲かる」ということは本質的にありえません。
基本「持ち出し」です。効率的であることもないし、生産性も高くない。  
でも、この20年ほどの「構造改革・規制緩和」の流れというのは、こういう国民国家が「弱者」のために担保してきた諸制度を「無駄づかい」で非効率的だと誹るものでした。
できるだけ民営化して、それで金が儲かるシステムに設計し直せという要求がなされました。その要求に応えられない制度は「市場のニーズ」がないのであるから、淘汰されるべきだ、と。  
社会制度の適否の判断は「市場に委ねるべきだ」というこの考え方には、政治家も財界人もメディアも賛同しました。
社会制度を「弱者ベース」から「強者ベース」に書き替える動きに多くの国民が喜々として同意署名したのです。
それがとりあえず日本における「グローバル化」の実質だったと思います。
社会的弱者たちを守ってきた「ローカルな障壁」を突き崩し、すべてを「市場」に委ねようとする。
その結果、医療がまず危機に陥り、続いて教育が崩れ、司法と行政が不可逆的な劣化過程に入りました。現在もそれは進行中です。
この大規模な社会制度の再編を通じて、「健常者のための医療、強者のための教育、権力者に仕えるための司法と行政」以外のものは淘汰されつつあります。
驚くべきことは、この「勝ったものが総取りする」というルール変更に、(それによってますます収奪されるだけの)弱者たちが熱狂的な賛同の拍手を送っていることです。
国民自身が国民国家の解体に同意している。
市民たち自身が市民社会の空洞化に賛同している。
弱者たち自身が「弱者を守る制度」の非効率性と低生産性をなじっている。
倒錯的な風景です。
「みんな」がそう言っているので(実際には自分の自由や幸福や生存を脅かすようなものであっても)ずるずると賛同してしまう考え方というものがあります。
マルクスはそれを「支配的なイデオロギー」と呼びました。
グローバリズムは現代における「支配的なイデオロギー」です。
人々はそれが自分たちの等身大の生活にどういう影響を及ぼすのかを想像しないままに、「資本、商品、人間、情報があらゆるローカルな障壁を乗り越えて、超高速で全世界を飛び交う状態」これこそが人類がめざすべき究極の理想だと信じ込んでいます。
どうしてそんなことが信じられるのか、僕にはよくわかりません。
高速機動性が最高の人間的価値だとみなされるような世界においては、機動性の低い人間は最下層に分類されることになります。
この土地でしか暮らせない、この国の言葉しか話せない、伝統的な儀礼や祭祀を守っていないと不安になる、ローカルな「ソウル・フード」を食べていないと生きた心地がしない・・・・・そういったタイプの「地に根づいた」人たちは、グローバル社会では最底辺の労働者・最も非活動的な消費者、つまり「最弱者」として格付けされます。能力判定の基準が「機動性」だからです。
グローバル化というのは「そういうこと」です。
自家用ジェット機で世界中を行き来し、世界中に家があり、世界中にビジネスネットワークがあるので「自分の祖国が地上から消えても、自分の祖国の言語や宗教や食文化や生活習慣が失われても、私は別に困らない」と言い切れる人間たちが「最強」に格付けされるということなのです。  
もちろんそんな非人間的なまでにタフな人間は現実にはまず存在しません。
でも、それが「高速機動性人格」の無限消失点であり、グローバル社会における格付けの原基であることに変わりはありません。
あるグローバル企業の経営者が望ましい「グローバル人材」の条件として「英語が話せて、外国人とタフなビジネスネゴシエーションができて、外国の生活習慣にすぐ慣れて、辞令一本で翌日海外に飛べる人間」という定義を下したことがありました。
まことに簡にして要を得た定義だと思います。
これは言い換えると、その人がいなくなると困る人がまわりに1人もいない人間ということです。
「グローバル人材」であるためには、その人を頼りにしている親族を持ってはならないし、その人を欠かすことのできないメンバーに含んでいる共同体や組織に属してもならない。つまり、その人が明日いなくなっても誰も困らないような人間になるべく自己陶冶の努力をしたものが、グローバル企業の歓迎する「グローバル人材」たりうるわけです。
これは「地に根づいた」生き方のちょうど正反対のものです。
「地に根づいた人」とは、その人を頼る親族たちがおり、その人を不可欠のメンバーとして機能している地域の共同体や組織があるせいで、「私はこの人たちを置き去りにして、この場所を離れることができない」と思っている人間のことです。
そういう人間はグローバリズムの世界では「望ましくない人間」であり、それゆえ社会の下層に格付けされることになる。
繰り返し言いますけれど、どうして日本人たちがこんな自分たちに圧倒的に不利なルール変更にうれしげに賛同したのか、「支配的なイデオロギー」の発揮する魔術的な効果ということ以外に私には理由が思いつきません。
その「支配的なイデオロギー」はどういう歴史的条件の下で形成されたのか、どういうふうに構造化されているのか、どう機能しているのか、その破壊的な効果をおしとどめる手立てはあるのか、あるとすれば何か・・・・・といった一連の問題意識がこのシンポジウムには伏流しています。」


「脱グローバル論」という書籍の前書きです。
ローカルなソールフードという食文化を、僕で言えば、春のいかなごの焼き物、ヌタの和え物、ごまよごし、とうふの白和え、丸もちの入った白味噌汁、鳥の胆などは、母親と同居の時には食べられたが、今は伝えても味が違う。それらは、完全に過去のものとなってしまった。

僕たちは、スピノザのいう「賢者」にならなければならない。
暇と退屈と不満によって、興奮させられることを、俯瞰して眺めていなければならない。
スピノザは、
「味の良い食物および飲料をほどよくとることによって、さらにまた、芳香、緑なす植物の快い美、装飾、音楽、運動競技、演劇、そのほか他人を害することなしに各人の利用しうるこの種の事柄によって、自らを爽快にし元気づけることは賢者にふさわしいのである」と述べる。
ウイリアム・モリスが、「人はパンだけで生きるべきではない。パンだけでなく、バラも求めよう。生きることはバラで飾らなければならない」という。
僕たちは、消費に踊らされることなく、爽快で元気になる美味しい物を取る努力をしたい。
桃さんの中華のように、美味しかった、良かったと爽快になるには、何を目指すべきだろうか?



僕たちは、狩猟採集生活で、ナッツ類、根菜類、サケなど川魚、池海の貝類、時々の小動物の肉、たまに鹿猪などの肉を食べていた。アフリカからチベット経由で、移動してきた人々は、時には焼いてもそのまま食べることもあっただろう。
1万年前から地球は温暖化をたどり、狩猟採集地である草原が、木々の生える森となって、徐々に定住を余儀なくされた。
もともと狩猟採集気質で生まれきた我々には、定住は食糧自給や、死体の処分、人間の廃棄物の処分など、克服しなければならないことがある。
定住は、はなはだ困難であった。
定住による地域の食糧の食べ尽くしによって、飢餓が訪れる。
依って栗やナッツ類の植林と貯蔵、川や海の近くに魚、貝を求めてその地に定住した。
そうした中、食べ物は、自然からの贈与と認識し、返礼や祈りで祝福した。

日本人は、爾来取捨選択しながら、外来文化の吸収が抜きんでていた。
中国の漢字を取り入れ、かなに変換した言語を国語とした。
中国江南の民や、朝鮮半島から移動してきた人々が大和の国を作ったと言われ、「奈良」と言う言葉は、朝鮮語の国と言う意味をもち、奈良に都を作る時に付けたという。
中国・韓国とは切り離せない出自を持つ日本人は、自国の文化にこだわらず、寛容だったのだろう。
また、勉学熱心であったから、取り入れることが出来たのだろう。
カレーも作り、スパゲッティーも作って来たのだ。



世界が植民地支配に野望を膨らませていた時、中国は、自国文化を愛し過ぎていたがために、英国の侵略を受けたのだと思う。
100年の苦難の時代があったのだ。
それを見ていた日本は、攘夷攘夷と言いながらも開国を率先し、西洋の文化を取り入れた。江戸時代は、民衆が革命を起こす動機はなかった。
外圧によって開国せざるを得なかったのだ。

川勝先生が書くように、英国は、産業革命で大量につくれるようなった綿の夏服の販売先の開発のために植民地を欲したが、日本では、絹織物の一重や、ゆかたで夏を涼しく過ごすことが出来るため、英国製夏服の需要が少ないので、強硬に植民地化しなかったと言われる。

自国を愛した中国も、現在、時代の要請で、変容せざるを得ないだろうが、こと、食べ物のこととなると、歴史がはぐくんだ料理方法が未だに浸透している現状に、すこし、うらやましい気がする。
世界のすべての物から換骨奪胎しながら、我がものとした日本の特技は、グローバリズムの波にもろに乗り、それを違和感なく過ごしてきたが、桃さんの食事風景を見ることによって、ローカルなソールフードがなくなっている自分に、はずかしさと嫌悪感を抱いてしまう。

2013/6/20 近藤蔵人







▲ページTopへ