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近 藤 藏 人 美術館

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歓 待


掲載日:2014/2/1

 昨年二匹の愛犬が亡くなった。

 8月、14歳だった白のラブラドールが骨肉腫で10日間苦しみながら逝った。
 12月には、交通事故で介護犬であった1歳年上の銀之助が、夜中数時間の苦しみの中、息を引き取った。
 ラブがみまかるとき、吠えることもできなかった体で銀に最後の声を「うおん」とかけていた。いざりながら近づいてきた銀には、その意味が解ったと思う。


 そんな折、イグノーベル賞の発表があった。
 日本の学者が、心臓移植をしたラットに音楽を聞かせるとどういう変化をするかという実験結果が賞の対象となった。
最も長く生存したラットは、ヴェルディ―の「椿姫」を聞き、それによって移植された心臓に適合しようとする細胞が活性化されたという。
 無音と、流ちょうなアナウンサーの話を聞かせても効果がなく、北欧の歌手エンヤと日本の演歌では8日間永らえ、モーツアルトでは20日間生き続けた。
 椿姫の物語は、高級娼婦が地方から出てきた青年貴族と恋におち、幸せな生活のあと、その父親に、あなたと息子が付き合っていると彼の妹が結婚できないので別れてほしいと言われる。椿姫は泣きながら承知する。彼が翻意するよう策略し、決闘ごととなる。生き残った主人公は、肺病を患う椿姫に会うが、死期にいたりこと切れる。
 全編大声で歌い、歓喜にあふれ、悲痛に苦しみ、泣き崩れ、興奮し、落胆死に至る。無音や話し言葉では効果がないが、音楽を聞かせると生き永らえるのだ。演歌でも、モーツアルトでは過大な期待をするが、それよりオペラが最も生命の活性化を図る「音楽の力」がある。
 他者の喜びを感じ、悲しみを感じ、涙を感じることで細胞の生命が目覚める。細胞は、脳が感じた興奮によって活性したのだろう。



 音楽は、その時々の情感を表現するには最適の芸術である。モーツアルトが、うきうきしていたり、悲しみに満ちている心情が音楽に表現され、我々も同じ気持ちになる。そこに喜びがある。その音楽の様式が、美しさと兼ねあう。美しさと作曲者と同化できる心情によって、至福の時間を味わえる。美しい響きに涙し、やさしさにいたわられ、悲しさに同調して涙ぐむ。
 僕たちは音楽を聴くことで、きもちを高揚させたり、哀しみを増幅させたり、自意識から離れて恍惚となることができる。「大切なのは情感だ。聞いて涙が浮かぶようなことがおこらないと、コンサートなど実はなかったも同じ、唯一重要なことは感情なのだから。ギレリスやミケランジェリを聴いて私はよく泣いた。感情こそ、実際には涙こそが重要なのだ」と、ピアニストのアファナシェフが言う。
 同じくピアニストのペレイラは「音楽は完全な世界を体現してくれる。それは、不協和音が解決を見せる世界である。旅の終わりで、満ち足りて終わる世界、主音で終結する。しかし、私たちの人生ではそのようにいかない。音楽の中では、完璧な世界を思い描くことができるが、調和から切り離され、満たされることがなく、不協和音が解決されない私たちには、音楽は自分の人生を育む精神的な豊かさをくれる。音楽が人をより良きものにするとは思わない。しかし、何かしら他では得ることのできない、内面的な充足をもたらす。そのようにして音楽は完璧な世界への道につながっている。」と言う。
 そこで死が近いラットが、音楽によって生命が活性するとき、人間の感情が伝わると前提できるのだ。ラットにも、喜びがあり、悲しみがあるだろう。ラットの喜びと、ひとの喜びは同質なのだろう。



 自然の中で、野生の音を録音しているバーニー・クラウスの「野生のオーケストラが聴こえる」と言う著書の中に、ビーバーの受難の話がある。
 親子で生活していたビーバーが、上流のダムの放流によって営巣地がずたずたに破壊され流されてしまった。子供と雌をなくして傷ついた雄のビーバーが、泳ぎながら彼らを探して嘆いている。その声は悲しく、聴いていて胸が張り裂けそうになる。録音された声を何度聞こうとしても聴くことが出来ない。生き物があんなふうに泣いている声は二度と聴きたくないと思い、人間の作った音楽で、最も胸を引き裂くものであってもあのビーバーの鳴き声とは比べるべくもない、と、記している。

 哺乳類は、少しの子供を産み大切に育てる。乳をもらう行為は、相手とのコミュニケーションが不可欠だ。
 子供が愛着障害を起こさないように、母親は子供と共に過ごし、子供は母親に引っ付き、まとわりつき、乳をもらう。親子の結びつきは強靭だが、傷つきやすい。
 母ザルは遺体となった子ザルをいつまでも抱きかかえている。哺乳類の親子関係は、人類と同質であると考えていいのだろう。哺乳させる行為自体に、その基があるからと思える。
 やわらかい乳房、やさしい言葉、滋味豊かな乳の味、そして、他者の声に耳を澄ますことによって、あいてとのコミュニケーションを図ることを大切にした。その能力が、人間の感情を表現する音楽にも、通じたのだろう。
 生命は、細胞レベルから個体、集団まで、あるコミュニケーションによって相手の動きを感じ、同調し、変化する。郡司ペギオ幸男によると「群れを成す動物に群れとしての意志はあるのか」、と言う研究があるが、群れの中の個体は側にいる他者を思い図って移動するが、瞬時に共鳴することができるので、集団のイワシや鳥の飛翔が意志として感じることができる。
 幹細胞が、まわりの細胞と同調して、まわりの細胞の動きを感じながら、変化していくように、生命現象は、個では成り立たず、コミュニケーションが図られなければ生き延びることはできない。そのコミュニケーション中に、喜びも、怒りも、ビーバーのような悲しみも表現されるのである。
 華厳宗の縁起の概念に、「この世における何物も他の物から独立して存在しない。あらゆるものはその現象的な存在の為に他のすべての物に依っている。すべてのものは互いに関連しあっている。すべてのものはお互いから由来している。・・・従ってこのような展望からすると宇宙は、多種多様で多面的に相互に関連しあった存在論的な出来事が密接に構造づけられた連鎖であるので、末梢部分での極小の変化ですら他のすべての部分に影響せざるを得ないのである。」華厳の縁起の真髄は、「全てのものの力動的、同時的で相互依存的な出現と存在である」と井筒俊彦は言う。



 音楽はその上歓待の性格がある。
 人類学的に、人は訪れてきた「まれ人」を歓待する伝統がある。ホスピタリティーと言う。
 終戦後、父親が、神戸から母親の実家である徳島の喜来町に疎開した。実家では、番傘を作り販売していた。父は、スクーターに番傘を積み営業に回っていた。
 スクーターでは数本の番傘しか売れなかっただろうが、時代はそれでもよかったのだろう。

 父の話では、吉野川上流の山間の平家落人部落らしき民家に行くと、よく来てくれたと、その家の主人は父を泊まらせ、夕食も馳走になり、眠る時には布団が三枚敷かれ「何もないので娘2人と一緒に寝てください」と同衾したと言う。その夜は、語りあかし、笑いが絶えなかったと父は話した。その後何があったか父は話さなかったが、その家から精一杯の歓待をされたのだ。
 また、世阿弥の「鉢木」は、困窮した老武士のところに、雪の中、一夜の宿を借りに来た僧侶に、老武士が大切に育てていた鉢の木を暖を取るため焚き木として燃やした。僧侶の寒々とした姿に何とか暖かくもてなしたかったのだ。
 先日、我が家に女学生が3人泊まりに来た。見ず知らずの老人が住むところに、知り合いのおじさんに引きつられてきたとはいえ、よく来たものだ。当然、タイ鍋をつくり、デザートを用意し歓待した。でも、これには老人の秘した喜びが現れたものだから、無償とはちとはずかしい。生殖年代盛りの女性と、同じ屋根の下で過ごすのだから、うきうきする。人は好色に生まれついている。

 しかし、歓待は無償の贈与という普遍的な行為である。世界中、放浪する宗教者や遠来の客人を、神の化身とみなして歓待する風習があった。そのように定住者は、自分たちの生命の維持と、訪れ人から聞く世界の知識を深めること、訪れ人そのものの存在によって、創造され生まれ変われることができた。細胞が活性化されるのだ。(知識とは、考え方が180度変化することを言う。知らずに思い込んでいた考えを暴き、思い致すことである)その為、「まれびと」を歓待する風習がうまれた。

 音楽が、ラットの心臓移植された細胞を目覚めさせたように、歓待する定住者をよみがえらせるのだ。僕たちは、毎日何気なく音楽を聴いているが、音楽によって、歓待され、細胞が活性し、寿命まで延ばされているということだ。



 子供は歩くころになると、聞こえてくるリズムに合わせて体をゆるがせる。気持ちが良いのである。子供は音楽を教えなくても感じ入ることができる。その子供は、乳児の2歳までに、充分な愛情を注がれないと愛着障害になる。2,3日母親が入院して母乳をやらないだけで、子供は、不安定になり、ママに対する依存が変化し、強い依存症になったり、無感動になったりすることがある。ママがいない!、ママがいない!と思い続けるのだ。

 子育ては、子供を傷物として育てるしかないと思っている。長じて、神経症になっても、両親のせいにはできない。自分で解決するほかない。宮崎駿も自著で愛着障害の為に作家となったと言うが、何か、精魂込めたなすべきものを探し、見つかることが解決なのだろう。
 現代は、異常な両親に育てられた、異常な子供の物語にあふれ、親に異常だと言っても、親はその親に異常に育てられたのだから、自分で解決する方法しかない。その存在を表現することで、自己も昇華され、他者に歓待の材料として提供できる。鉢の木を燃した老武士のように、表現をあなたに差し上げるということである。私たちは、その表現によって、生命を活性させ歓待されている喜びを感じなければならない。



 古今和歌集の序文に紀貫之が歌について記している。

 「やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける
 世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、
 心に思ふ事を、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり
 花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、
 生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける
 力をも入れずして天地を動かし、
 目に見えぬ鬼神をもあわれと思わせ、
 男女のなかをもやはらげ、
 猛き武士の心をも慰むるは、歌なり」

 訳すと 

 「日本の歌は、心を種として、様々な言葉となった。
 人の心に起こること、見るもの聞くものを感じて言葉に表した。
 花を見て鳴く鶯、水の中でなくカエルの声、
 生きとし生けるもののあらゆる命が、歌を歌う。
 歌を歌わないものはどこにもない。
 歌は、力を入れることなしに天地万物を動かし、
 見えない霊的な鬼神まであわれと思わせる。
 歌は、男女の仲を和らげ、
 荒々しい武士の心でさえ慰められる、
 それこそが、歌である。」



 人類は言葉ができる以前は、歌っていたという。和歌はその伝統を引き継いだ。森羅万象が歌を歌っていたから、人類は歌うことができたのだ。小鳥がピーピーなくように、人は、話し言葉以前は、声の抑揚で表現し、通じ合っていただろう。ピタゴラスが言うように、宇宙は歌や音楽でできている。
 僕たちは、宇宙全体が鳴り響く交響曲のような世界の中に存在している。先の「野生のオーケストラが聴こえる」の中に、多くの動物たちは、人が見過ごしがちなほとんど「潜在的な方法で」意思の疎通を図っているという事実があると言う。
 マウンテンゴリラやオランウータン、大山猫、キツネザル、様々な鳥類、多種多様な昆虫、象、爬虫類、両生類が、一度に歌ってコーラスを形成する。のどだけでなく、翼や足、くちばしや胸部が鳴らす歌は、人類の音楽についての基礎となった。
 西洋に演奏旅行に行ったインドネシアのガムラン奏者は、演奏の後、西洋音楽のシンフォニーで歓待された。彼らに評価を仰ぐと、シンフォニーの演奏にではなく、演奏前の、それぞれが音合わせしているその音楽に、興奮し興味を示した。野生の音を西洋で演奏するとは思わなかったのだろう。

 ローランドゴリラは複雑なリズムで胸を叩く。
 マルミミゾウは低く大きく鳴き、かきむしるように唸り、遠くまで鳴り響く人の体に感じる声を出す。
 サイチョウが天蓋を渡り、しわがれた声と羽ばたく翼のエッジの音は、空中を浮遊する獲物を見つけて高い位置で弧を描きながら飛ぶときには微かに音の高さが変わる。
 ゴリアスオオツノコガネは低い持続音や振動音を立てる。
 アカコロブスやオオハナジログエノンは突然強いアクセントをつけて仲間に向けて警告の叫び声を発する。
 シュモクドリやトキやオウムの叫び声や鳴き声がまわりの空気を切り裂く。
 そんな音響の綾に、たくさんの種類の昆虫やカエルがつねに持続音や振動音による対旋律を附け加えている。
こうしバーニー・クラウスが発見した中央アフリカの森の音は、「みごとなまでの音の融合が多様な種を包み込んで眩いばかりで幸福を感じる」と作者は記している。

 日本人の死生観は、西行や漂泊者の生き方に行きつくところがある。樋口一葉や石牟礼道子が、野垂れ死にしたい願望があるというとき、西行や空海や勧進聖の彼らを忍ぶのだろう。野垂れ死にした体は、腐敗菌に食べられ、細菌に分解され、虫にむしばまれそのうち野犬やイノシシが食し、最後には土に帰る。それが本望なのだ。(焼却場は、早く骨にするため高温で焼く、骨は土に帰る骨でなくセラミック状態だ。それでは、いつまでも土に帰れない。)

 食べるものもなく、野の中で行き倒れた者は、ただ、野生の声に見守られながら静かに死んで行く。カエルが鳴き、虫が羽を振るわせ、鳥がさえずる。時には、遠くで鹿が鳴くかもしれない。世界は歌に包まれている。世界は美しい。これが、彼らの言う生を味わった後の死の理想なのだろう。可能か不可能かそれはわからないが、彼らのようでありたいと願望する。日本では土葬を認めているところは少なく、土に還ることもできない。

 野生で生活していた人類は、それらと同一の生命であったが、歌が言葉となって彼らと分離してしまった。今西錦司のすみわけ理論では、人類は狩猟採集生活において、自然の一部であったが、定住生活を初めて自然から離れてしまったと言う。奴隷制度など前近代の遺風を乗り越えて、近代人類は、基本的人権を考えだし、民主主義を編み出した。これが最高でないかもしれないが、平等と言う概念もある。
 我々人類はイグノーベル賞の実験結果から、基本的人権から、基本的哺乳類権を想像しなければならないし、基本的生命権、基本的地球圏、基本的宇宙権まで構想に入れなければならない。

 これらの表現は、他者への歓待でありたい。我々は、無償で音楽から生気を得、絵画から美と驚愕を感じ、文学から知性を獲得する。すべての表現は、他者への歓待であるのだ。


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 アルと散歩の途中日陰で涼んでいると、時々行き会う婦人が「まー、恋人たちのようね」と言って通り過ぎた。階段の上でフェンスにもたれて座り、その横で僕の手の下にアルが横になっている。涼しい日陰の風が通り過ぎる。
 渡辺京二の文に、「オーデンの友人に同性愛者がいて、老人になっても夜な夜な美青年を漁らずにはいられなかった。そのことが我ながら浅ましく苦しい、ところが犬を飼ったら、美少年あさりが収まった。詩人の伊藤比呂美はその著書で、メス犬は格好の良い男に媚を売る。メス犬と男の間には異種婚姻譚ならぬ異種愛が成り立つと書いている」

 確かにアルは、ラブラドールのメスである。アルは寝ている以外は、僕を注視していた。何を思って見ていたのだろう、僕は、通りすがりに頭を撫ぜるばかりだった。音楽を聴いていても、近づいてきては顔を見ている。本を読んでいても、映画を見ていても僕の顔を見ながら隣に座りこむ。多分、遊んでもらいたかったのだろう、だが、僕には解らなかった。
遊ばなくなって年月が経つと、アルはどうやら遊んでくれないと諦めたようだが、それは僕の願望でアルは遊んでもらいたいと近寄ってきたのだ。
 ボールを投げてアール行くぞーと声をかけてもらいたかった。今に思えば、一人椅子に掛けている僕に、願っていたのだ。
 アルが生後数か月の頃から、布団の中で、僕のまたぐらに顔を載せて眠っていた。アルの寝返りで、アルの手が僕の目に当たり病院騒ぎとなってからベッドの下で眠らせることになった。それからアルはベットに前足をかけて僕の顔を見ている。ラットの感受性を考えれば、一緒に寝たいと哀訴していたのだろうが、僕は無視した。
 所用で椅子から立ち上がった瞬間、すかさず飛び上がり横取りして座った。あなたは、私に何もしてくれないと言うように。



 症状が出て入院し、痛みが強くなり呼吸の声を荒げるようになってから、僕を見ることがなかった。痛さに、耐えて、胸を震わせていた。目を合わせたくて何度も呼びかけたが、こちらを見ても視線はうつろだった。名医に見せているから、こんなに早いとも思ってもいなかったのだ。
 退院して3日後に、早朝家内が添い寝していた横で、息を引き取った。銀が近づいて口の周りの匂いを嗅いだが、もう息はしていなかった。
 亡くなってから思うものだ、もっと楽しませてやればよかったと。
 ぼくは、歓待、アルの充分な歓待をうけたのだから。
2014/1/29 近藤蔵人







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