島村・田島弥平旧宅(家屋の風景) [ 島村特集・Index ]  [ Home ]



島村・田島弥平旧宅(家屋の風景)

国指定記念事業などのイベントはこちら
更新日:2014/5/5

(1)田島弥平旧宅(田島家の北側の「埼玉県道・群馬県道258号・中瀬牧西線」側から 2010/5/9


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■全体説明
■位置図
■登録への経緯
■風景
 ●外回りからの風景
 ●主屋
 ●主屋2階
 ●屋敷内
 ●主屋以外の建物
 ●表門や東門
 ●田島健一さんを囲んで記念撮影
 ●家屋の模型

東門前に立つ石碑や案内板
(田島弥平旧宅、富岡製糸場と絹産業遺産群)
2014/5/4

田島弥平旧宅・全体説明

掲載日:2012/10/29 ▲Indexへ ▲ページTopへ

田島弥平旧宅の東門脇に立つ説明板


田島弥平旧宅・位置図

掲載日:2012/8/28 ▲Indexへ ▲ページTopへ

利根川、島小、田島家の位置関係

田島弥平旧宅の主な建物

※地図左上の”googleマップで見る”をクリックすると、地図全体が別画面で開きます。

登録への経緯

富岡製糸場と絹産業遺産群 世界遺産登録決定!

更新日:2014/6/21
 2014年6月15日からカタールのドーハで開催されている第38回世界遺産委員会において、6月21日、日本時間の午後4時55分、「富岡製糸場と絹産業遺産群」がめでたく世界遺産に登録決定されました。
詳しくはこちら

更新日:2014/5/5 ▲Indexへ ▲ページTopへ

・富岡製糸場と絹産業遺産群

世界遺産に登録の見通し

 世界文化遺産登録を目指す「富岡製糸場と絹産業遺産群」について、イコモス(*1)は、「世界遺産に登録することがふさわしい」(勧告レベル=「記載」(*2))とする勧告をまとめ、ことし6月に世界遺産に登録される見通しとなりました。
 今回の世界遺産登録に関し、富岡製糸場を主役とするならばここ田島弥平旧宅を始めとする絹産業遺産群は脇役。しかしながら、これらの脇役は絹産業を語る時に不可欠な存在です。
 まずは蚕の種を育てる蚕種業(田島弥平旧宅や高山社)。続いて蚕を飼育し、繭まで育てる養蚕業。更に繭から糸を紡ぐ製糸業富岡製糸場)。最後に糸から織物を製造する織物業。そしてこれら個々の工程を繋ぐ、あるいは支える関連業。例えば、蚕種を冷気で冷温保存し、養蚕や製糸業の通年製造を可能にした荒船風穴
 上州群馬県は、かつてこれら全ての養蚕関連業が存在した、まさにシルクカントリー。そう言う意味では主役も脇訳もないそれぞれが重要な役割を担って来ました。今回の全絹産業遺産群が、無事に世界遺産登録なることを願っています。
(2014/5/5 記)

(*1)ユネスコ(国連教育科学文化機関)の諮問機関・イコモス(国際記念物遺跡会議、International Council on Monuments and Sites、略称 ICOMOS

(*2)イコモス勧告レベル
イコモスの勧告レベルは4段階評価で、世界遺産登録の最終判断に大きく影響。
1段階目のレベル=「記載」:世界遺産にふさわしく世界遺産の一覧表に載せるべきというもの。
2段階目のレベル=「情報照会」:追加で情報を提出させ翌年以降に再度審査するよう求めるもの。
3段階目のレベル=「記載延期」:現段階では本質的な改定が必要だとして登録を見送るべきという勧告。
4段階目のレベル=「不記載」:世界遺産としてふさわしくないという判断。

掲載日:2012/8/28 ▲ページTopへ

富岡製糸場と絹産業遺産群・世界遺産に推薦、政府が決定

 2012年8月23日、世界遺産条約関係省庁連絡会議(*1)が、2014年の世界遺産登録を目指して、「富岡製糸場と絹産業遺産群」をユネスコ(*2)へ推薦することを政府として正式決定しました。
 この4日前の8月19日、夏空の青さに誘われて島村へ出かけ、田島弥平旧宅始め、何軒かの養蚕農家や島村教会などを撮って来ました。行きはいつものように島村の渡し舟。最近、ちょっとスマートになったTさんにご挨拶し、愛車のMBと一緒に乗せてもらい、島小のある南側へ。
 前日に伊勢崎付近で降った大雨で桟橋が埋まり、運休しているかと心配しましたが、利根川上流では降水も少なかったようで、無事に渡れました。

 世界遺産登録へ向けての動きが顕著になった昨今、真夏とは言え、日曜日なので何人かの見学者に会うだろうかと期待していましたが、残念ながら、島村にいた昼の40分ほどの間、地元の車2台に会っただけで、散策者は誰に会うこともありませんでした。道幅が狭く、周辺の屋敷の敷地が広く、緑が多くて人工物が少ない、時代から取り残されたようなこの感じが、当初私が気に入った島村風景ですが、絹産業遺産群の一つとして位置付けられた今、富岡製糸場と周辺の賑わいからすると、ちょっと寂しい感じもします。

 そんな気持ちで過ごした真夏の島村の40分、田島弥平旧宅を始め、何枚か写真を撮って参りましたので、どうぞご覧ください。写真下の日付けが「2012/8/19」と記されたものが今回分です。弥平旧宅以外の島村風景も追って掲載します。
(2012//8/28 記)

(*1):文化庁や環境省など7省庁で構成
(*2):国連教育科学文化機関(United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization)

「田島弥平旧宅」を国指定史跡へ申請

 2012年1月25日、伊勢崎市教育委員会が「田島弥平旧宅(田島家住宅)」を国指定史跡とするよう申請書を県教委に提出しました。この申請は「富岡製糸場と絹産業遺産群(4資産)」の世界遺産登録を見通しての一ステップで、既に国史跡や国重要文化財に指定されている他の三構成要素(富岡製糸場(富岡市)、高山社跡(藤岡市)、荒船風穴(下仁田町))と足並みを揃えるための申請です。
 報道によれば、群馬県世界遺産推進課は、2014年度の世界遺産登録を目指し、2012年9月には政府がユネスコに世界遺産登録の推薦書暫定版を提出できるよう準備を進めているとのことです。
 田島家住宅は敷地約4,000平方メートル。田島弥平氏(1822〜1898)が建てた主屋や桑場、表門、鳥居など江戸末期〜明治中期にかけての建築物14件があります。

 私が最初に田島弥平旧宅を見学したのは2010年4月11日。伊勢崎西部スポーツクラブさん主催のマラソンピクニックのリハーサルの日に、当時の島小の新井校長先生に案内していただいて訪れた日です。
 以来、サイクリングの足を島村まで伸ばした時、地区内に現在も残る他の養蚕農家群と一緒に何度か見学しましたが、田島弥平旧宅は田島弥平氏の子孫のご家族が実際に住まわれている住宅なので、勝手に敷地内に入る訳にも行かず、周囲から眺めるだけの見学でした。そんな折に、2011年12月3日、伊勢崎市の景観サポーターの活動の一環として見学する機会を得て、敷地の中に入り、建物や庭園を見学させていただきました。
 広い敷地の中には主屋や桑場等の建物だけでなく、石燈籠や鳥居、石碑、瓦屋根付きの井戸端などがあり、しかも石碑は貞明皇后の行啓記念碑で、建物が蚕種飼育の歴史を示す貴重な建造物であるだけでなく、往時の隆盛の高さを今なお感じ取れる田島弥平旧宅に、別の驚きを覚えました。

 国指定史跡申請を機に、メディアに取り上げられる機会に加速がかかり、今後も国指定や世界遺産登録の動きを見守りたいと考えていますが、まずは今の姿を紹介したいと思います。(2012/2/26 記)

※島村養蚕農家群には、蚕を風通しの良いところで加温せずに育てる飼育法「清涼育」を実践するために考案した、換気を良くする櫓(やぐら)が屋根の最上部に設けられています。

田島弥平旧宅・外回りからの風景

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(2)田島弥平旧宅を北側の道路から 2012/8/19


(3)主屋を北側の道路から 2012/9/15
(景観サポータ視察)

(4)島小南東側の桑畑越しに見る田島弥平旧宅
2012/9/15(景観サポータ視察)


(6)主屋 2012/8/19


(8)左:東門、右:桑場 2012/8/19

(5)主屋の北東面 2012/9/15(景観サポータ視察)


(7)左:桑場、中央右:井戸 2012/8/19


田島弥平旧宅・主屋



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(9)田島弥平旧宅・主屋 2012/9/13


(10)田島弥平旧宅・主屋 2012/9/13

(11)田島弥平旧宅・主屋 2012/9/13

(12)田島弥平旧宅・主屋 2012/9/13



(13)田島弥平旧宅・主屋 2012/9/13

(14)田島弥平旧宅・主屋 2011/12/3
(景観サポータ視察)

田島弥平旧宅・特別公開(主屋2階の蚕室など)

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主屋2階への階段


一階から 2012/10/28

この階段をかつて何人の人が利用したのでしょう。
ステップも手すりも角が取れ、
まるでキメの細かいヤスリで擦ったように
すべすべと艶々としていました。

この手すりは、貞明(ていめい)皇后が行啓された時、
上り降りし易いようにと取り付けたとのことです。

二階から 2012/10/28


二階から 2012/10/28
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主屋2階の蚕室


丸太のままの大梁。150年の歴史を経て、今なお健在

2012/10/28


天井や仕切り 2012/10/28

新蚕室(現在は建物はなく、跡地のみが残る)
へ続く渡り廊下への入口
2012/10/28

蚕室(南側) 2012/10/28


蚕室(表庭側の窓) 2012/10/28

天井 2012/10/28

蚕室の隅に置かれた家具や道具類 2012/10/28

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主屋2階の顕微鏡室

 田島弥平が顕微鏡を用いて蚕の病気(微粒子病)の検査・研究を行ったのは有名な話。今回、その顕微鏡室も公開されました。2階蚕室の北側の隅にあります。顕微鏡室は後で増築されたとのことです。

顕微鏡室の北側の隅
2012/10/28

研究に使用したと思われる小皿や棒
2012/10/28

田島弥平旧宅・屋敷内

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庭園内に貞明皇后の行啓記念碑があります。
2011/12/3(景観サポータ視察)

庭園。石燈籠や鳥居が配されています。
2011/12/3(景観サポータ視察)

2012/9/15(景観サポータ視察)

屋敷内の鳥居 2012/9/13

貞明皇后(ていめいこうごう)行啓記念碑
2011/12/3
(景観サポータ視察)
貞明皇后
1884年(明治17年)〜1951年(昭和26年)は大正天皇の皇后



貞明皇后行啓記念碑 2012/9/13


貞明皇后 2014/5/4

主屋以外の建物など

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香月桜跡・別荘


別荘(敷地内から) 2012/9/13


別荘(左)と桑場(右) 2012/9/13

別荘(北側の道路から)
2012/9/15(景観サポータ視察)

別荘 2012/8/19


別荘(左後方)、桑場(右)
解説員の大澤さんの説明を聴く参加者
2012/9/13

香月桜跡・別荘の説明板 2010/5/9


表門と別荘(南東側から) 2010/5/9

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桑場


表門と桑場(左)、後方は主屋 2012/8/19


別荘(左後方)、桑場(右)
解説員の大澤さんの説明を聴く参加者
2012/9/13

別荘(左)と桑場(右) 2012/9/13

桑場の説明板 2014/5/4

桑場(左)、表門(中央右)、別荘(右) 2012/8/19


桑場と表門と別荘。手前の緑と青空が爽やか。 2012/9/15(景観サポータ視察)

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井戸端


井戸端も瓦屋根付き 2011/12/3(景観サポータ視察)

井戸端 2012/9/13

主屋(左)と井戸端(右) 2012/9/13



井戸の説明板 2014/5/4

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新蚕室跡地


新蚕室(※)と主屋を繋いだ廊下
2012/9/13

※:3階建ての新蚕室は昭和27年に解体し、
その木材はどこか別の建物4棟に
生まれ変わったとのことです。

井戸の説明板 2014/5/4

新蚕室跡地の石垣(南側から)
2012/9/15(景観サポータ視察)


新蚕室跡地の石垣(北側から) 2012/9/13

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種蔵や屋号など


種蔵(2階蚕室から)
2012/10/28

田島弥平家の屋号「遠山近水村舎」
(えんざんきんすいそんしゃ)
2012/9/13

北側の県道端に建つ養蚕新論版木記念石碑 2012/8/19

田島弥平旧宅・表門や東門

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東門 2012/8/19

東門を入る見学者 2012/9/13

左端:桑場、その右:東門、右:主屋 2012/8/19

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南東側から(桑場、表門、別荘) 2010/5/9

桑場と表門 2012/8/19

表門(敷地内から) 2012/9/13


左:桑場、その右:表門、右:別荘 2012/8/19

左から桑場、表門、別荘 2012/8/19

故・田島健一さんを囲んで記念撮影

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田島健一さん(前列中央)を囲んで、参加者の記念撮影。左端は解説員の大澤さん。
2012/9/13


田島弥平旧宅6代目当主・田島健一さんは2014年2月3日、病気のため亡くなられました。
お宅を個人的にあるいはイベントなどで見学させていただいた時、いつも快く説明してくださった健一さん。
田島弥平旧宅を子孫として大切に守ってこられたことに対し 心から敬意と感謝の意を示し、ご冥福をお祈りいたします。

田島弥平旧宅と島村教会の模型

(日本工業大学・黒津研究室製作)
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田島弥平旧宅(主屋)の模型


島村教会の模型

田島弥平旧宅(敷地全体)の模型




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