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同聚院(どうじゅいん)

(群馬県伊勢崎市曲輪町14-5)
ヒカンザクラ(緋寒桜)、シダレザクラ、桜風景同聚院の歴史、武家門山門新築工事武家門の移築工事
同聚院の大カヤ「おなべっ川」改修工事
更新日:2017/1/14、掲載日:2010/3/19 写真下の日付は撮影日
 伊勢崎駅の南東へ向かって徒歩5分、曹洞宗・同聚院(どうじゅいん)があります。
 伊勢崎市指定重要文化財の「同聚院の武家門」をくぐると広い境内と本堂が迎えてくれます。創建は平治元年(1159年)、領主である三浦之介義明が赤石左衛門の菩提を弔うために開いたと伝えられています。江戸時代に入り伊勢崎藩主となった稲垣長茂の位牌所として庇護され、稲垣氏が移封され陣屋が破却されると陣屋門が移築されています。
 同聚院本堂の北側には樹齢約600年・樹高38mの、市の天然記念物「同聚院の大カヤ」があります。本堂の右手には「文明の石憧(せきどう)」(伊勢崎市指定重要文化財)もあります。(2010/3/19 記)


同聚院の地図

ヒカンザクラ(緋寒桜)

 別名 カンヒザクラ(寒緋桜)
掲載日:2015/3/24 ▲ページTopへ
 桜と言えばソメイヨシノ八重桜くらいしか知らなかったころ、それ以外の桜があることを最初に知ったのは「いせさき市民のもり公園」の河津桜
 以来、西部公園のオカメサクラ元町南公園のコヒガンサクラ(小彼岸桜)「赤堀せせらぎ公園」(赤堀)今井神社の枝垂れ桜など、ソメイヨシノとは開花時期を異にするいくつかの桜を知り、それぞれの風情を楽しみました。そんな中で、花弁形状と色の濃さが他と異なる桜、ヒカンザクラ(緋寒桜)と最初に出会ったのは、ここ同聚院の境内でした。2010年3月21日のことです。
 訪れるべくして訪れたのではなく、武家門の東側の通りをブラリサイクリングで通過中、鮮やかな濃いピンク色の花が門の間から目に飛び込んで来て、その存在を知った次第です。それから5年目、まだ枯れずに咲いているだろうかと訪れたのが一昨日の3月22日、偶然にも一日違いの日でした。今年もまだ健在で参道脇を鮮やかに彩っていました。(2015/3/24 記)


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緋寒桜と武家門 2010/3/21

緋寒桜と本堂 2010/3/21


緋寒桜と武家門 2010/3/21
 こんなにハッキリした色の。遠目にもその存在をキッチリと主張する緋寒桜。カタカナで書くより、漢字で書いた方が味わいが伝わる緋寒桜
 などと分かった風なことを言っていますが、同聚院緋寒桜があるのを知ったのはこの日が初めてでした。




緋寒桜と本堂 2010/3/21

シダレザクラ

 2012/4/21、MBに跨って伊勢崎駅前を通り赤石楽舎方面へ向かう途中、サ〜っと通り過ぎるつもりで通った同聚院。ソメイヨシノはとうに葉桜だろうと思いながらも、チラリと境内を覗いてみると、案の定ソメイヨシノは葉桜でしたが、代わりに枝垂桜を発見。地元の皆さんには、さぞ親しまれているだろうと思われるほどの立派な大きさと枝ぶり。でも、私がその存在を知ったのはこの日。
 3月中下旬に咲く緋寒桜、4月上旬に咲くソメイヨシノ、そして4月中旬に咲く枝垂桜同聚院境内を明るく華やかに彩る桜シリーズ、嬉しい趣向です。(2012/4/27 記)

石仏越しに撮ってみました 2012/4/21

軽やか球形に形良く垂れ下がる枝垂桜 2012/4/21

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同聚院のサクラ風景


境内で咲く桜  2009/4/11

はき清められた境内の庭が桜吹雪でお化粧 2009/4/11

2009/4/11




2009/4/11

同聚院の新しい山門

仁王像、お目見え

掲載日:2017/1/14 ▲ページTopへ
 昨年末に山門本体が完成し、仁王像はシートで覆われていた同聚院の山門。正月明けにはそのシートも外され、上半身裸の筋骨隆々の立派な姿を現しています。像は木彫り。向かって右側が口を開けて怒りを顕わにした阿形像。左側が怒りを内に秘めた吽形像。日本中の寺社に数ある仁王像ですが、同聚院の仁王様は怒りの奥に優しさを感じます。共にこれからの同聚院の守護神となることでしょう。(2017/1/14 記)

【メモ】「阿吽(あうん)の呼吸」の語源
(「故事ことわざ辞典」(http://kotowaza-allguide.com/)から引用)
」は口を開き」は口を閉じて発する声のことから「呼気」と「吸気」の意味となり、両者が息を合わせることを「阿吽の呼吸」と言うようになった。寺社の山門にある狛犬や仁王の口は一体が口を開き、一体は口を閉じて「阿吽」を表している。

吽形(うんぎょう)像




2017/1/10

阿形(あぎょう)像




2017/1/10

本体が完成し、石畳などの左官工事が進む新しい山門(東側から)2017/1/10

掲載日:2017/1/7 ▲ページTopへ
 同聚院の新しい山門(仁王門)は建築工事がほぼ完了した様子で、工事用足場が撤去されてその姿を現しています。仁王像はシートで覆われているものの完成している様子。伊勢崎駅南口から徒歩数分の同聚院。伊勢崎市指定の重要文化財の旧山門(武家門)は北隣に移築され、歴史を語る旧武家門と彫刻も立派な新しい山門と二つ並び、伊勢崎市のまち歩きの新たなスポットとなることでしょう。(2017/1/7 記)


掲載日:2016/10/10 ▲ページTopへ
 山門(仁王門)の建築と境内整備工事が進む同聚院。今年の5月に武家門の移築を終えた後、新しい山門の新築工事が進み、10月7日現在、その外観が姿を見せています。工期は今月末。間もなく完成です。(2016/10/10 記)

新築工事が進む新しい山門(南東側から)2016/10/7

新築中の山門(東側から) 2016/10/7

新築中の山門(東側から) 2016/10/7

同聚院の武家門、移築工事

掲載日:2016/5/26 ▲ページTopへ
 同聚院で山門(仁王門)の建築と境内整備工事が進み、これに伴って武家門(*)が移築されました。移築先は元の位置の少し北側。移築後の武家門は周囲を囲って見学用に供し、門の通行は行わないとのこと。
 現地工事予告によれば、山門建築と境内整備期間は平成28年(2016年)4月1日から同年10月末日までとのこと。(2016/5/26 記)

(*)同聚院の武家門:昭和41年(1966)、伊勢崎市重要文化財に指定。伊勢崎市内に残る最古の木造建築物とされている。

移築を完了した武家門(南東側から)2016/5/24


移築を完了した武家門(西側から)2016/5/24

移築後の武家門(南側から北方)後方はベイシア
2016/5/24

移築後の武家門。移築前は赤い矢印の右後方。
(南西側から)2016/5/24

同聚院の歴史、武家門

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同聚院の武家門 2013/2/10

同聚院の武家門 2007/5/5


同聚院の武家門の説明板 2007/5/5


曹洞宗 同聚院 2007/5/5

文明の石憧(せきどう)
伊勢崎市指定重要文化財 2009/4/11

参道から武家門の外を見る 2007/5/5


2007/5/5


新緑爽やかな境内 2007/5/5


2008/1/5

同聚院の大カヤ

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 同聚院本堂の北側に大きくそびえる大カヤ樹齢約620年の古木で、伊勢崎市指定天然記念物になっています。
 620年前の1391年は3代将軍・足利義満が治める室町時代。1397年には義満が京都の北山に金閣寺を建て、北山文化が形成された時代です。
 その当時、ご当地伊勢崎市にどのような歴史があったのか調べていませんが、当時植えられた1本のカヤの木が幾多の時代を経てここに存在している事、感慨深いものがあります。ここから南西方向にあった伊勢崎城(赤石城)や城郭の様子を見つめ、第二次世界大戦終戦前日の伊勢崎空襲を体験し、今ここに存在している事、カヤの木に記憶があるならば、いつかゆっくりと昔話を聞いてみたいものです。(2011/4/29 記)

大カヤの根元 2010/3/21
伊勢崎市指定天然記念物

同聚院の大カヤ

昭和42年2月15日 指定
 カヤはいちい科の常緑高木で、葉は扁平線状の革質で厚く先端はするどくなっています。株は雌雄異なり、これは雌株で、四月頃開花し、実は広楕円形の核果を呈して食用となります。
樹高 38メートル
目通り周 5メートル
根 本 周 10メートル
枝 張 り 東西 15メートル
南北 13メートル
樹齢 約600年
学名 トオレヤ・ニューシフィラ
和名 カヤノキ いちい科
平成2年6月22日 伊勢崎市教育委員会

同聚院の大カヤ 2010/3/21


同聚院の大カヤの説明板 2010/3/21

「おなべっ川」の改修工事

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 同聚院の北側にある善應寺(ぜんのうじ)との間には小さな川「おなべっ川」が流れています。現在の源流は明確ではありませんが、伊勢崎駅周辺の区画整理着手前には、駅の西側を南北に流れる用水から流入し、駅西から南東区域の水を集めて流れていたようです。→こちらにも掲載してあります

左:同聚院、右:善應寺 2015/3/22

左:同聚院、右:善應寺 2012/2/19

同聚院の北側付近 2011/4/24

赤坂川への落差工 2011/4/24

改修後の様子 2011/4/24


改修前の様子 2010/3/21





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