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雪国の街・塩沢の歴史を伝える「牧之(ぼくし)通り」

街並みと雁木看板小路オープンガーデン
更新日:2011/10/27
 2011年10月22日伊勢崎市景観サポーター(*)の年に一度の先進都市視察として、新潟県南魚沼市の塩沢地区と群馬県渋川市の「白井(しろい)宿」に行って参りました。参加者は私を含むサポーター11人と伊勢崎市職員さん5人の計16人です。
 天気予報が当り、曇り時々小雨の天気でしたが、そんな日の街の姿を見る事も視察としては貴重な体験。期待に胸を膨らませて、平成23年度「都市景観大賞」を受賞した「三国街道塩沢宿 牧之通り」と地元群馬の旧子持村「白井宿」を視察して参りました。

 伊勢崎市役所を出発したのが午前8時。駒形バイパス経由で北関東自動車道・駒形ICに乗り、最初のトイレ休憩の赤城高原SAに到着したのが午前8時42分。赤城高原SAを9時に出発し、目的地の塩沢地区に到着したのが9時50分。途中のトイレ休憩を除けば、伊勢崎から高速利用で1時間30分の距離です。

 現地は牧之(ぼくし)通り組合景観委員長・貝瀬 久(かいせ ひさし)さんに案内していただきましたが、街歩きに先だって説明していただいた街づくりの経緯が非常に印象的で、特に、街づくりスタート時に基本コンセプトを決めるに当って意見を募った時、「広い空だとか綺麗な山並みだとか、そんなのは全部ボツ。『塩沢らしさ』を出さなければダメ。それじゃ『塩沢らしさ』って何?」と皆で悩んだこと、そして、その結果得たのが「雪国の街・塩沢の歴史」だったと言う経緯に、強く関心を持ちました。この説明の時に非常に的を得て分かり易かったのが、「ハウステンボスを作っても意味がない」と言う事でした。
 他にも事業費の捻出過程や建物外観に関するデザインルール決め、住民への説得、非賛同者の対応など、美辞麗句で街づくりを飾らないストレートな内容は、貝瀬さんの気さくでざっくばらんな口調の中にも、街づくりに関与する人たちの厳しくて、本質的な姿勢を感じました。

 話を聞きながら、自分の事に立ち戻り、「伊勢崎らしさ」って問われた時、自分は「これだ!」と言うアイディアを出せるのかどうか、はなはだ自信がないまま、それを頭の隅に置きながら街歩きに出掛けた次第です。

 街歩き時間は昼食時間と鈴木牧之(すずきぼくし)記念館見学、自由時間を含んで12時50分までのちょうど3時間。一昨年の小布施町と昨年の栃木市に比べて地区の範囲が狭かったので、過去2年よりは心残りが少なく、現地を後にできました。ただ、別の季節に改めて訪れてみたいと思う気持ちは今回も同様に湧いて来ました。できれば、雪の季節に雁木の下を歩いてみたいものです。

 以下、視察記録です。前編、後編と2編に分けて報告します。また白井宿は別ページで報告します。(2011/10/25 記)

(*)伊勢崎市の街中景観を考える市民ボランティア団体。景観サポータの担当課は伊勢崎市都市計画部都市計画課です。
途中一回のトイレ休憩は関越道の「赤城高原SA」。到着=午前8時42分、出発=9時。

小雨に煙る駐車場。
大型車駐車エリアは空いていました

普通車駐車エリアはそれなりに混雑

流石にレストラン前のオープンテラスは
誰もいません
「鈴木牧之記念館」に9時50分に到着。新潟側では雨が上がっていました。
ここで、牧之(ぼくし)通り組合景観委員長・貝瀬 久さんから街づくりの経緯を説明していただき、街歩きをスタート。

「鈴木牧之記念館」前の駐車場で貝瀬さん(左端)の説明を聴く視察メンバー


「鈴木牧之記念館」

 「鈴木牧之記念館」は、街歩きの後で全員で見学しましたが、残念ながら館内は撮影禁止なので館内のレポートはありません。ただ、鈴木牧之は、塩沢地区を「雪国の街」として説明する時に、最も重要な人物です。

 鈴木牧之は明和7年(1770年)、塩沢村に生まれた偉人です。文人であり画人であり、また俳人でもあり、「北越雪譜(ほくえつせっぷ)」で雪国の生活を世に伝え、江戸で大評判になりました。

駐車は「鈴木牧之記念館」と
休憩所・「牧之茶屋」共同の駐車場。



「牧之茶屋」の看板も凝っています



「牧之茶屋」は閉じていました。



「牧之茶屋」のトイレ

記念館前の赤い木の実に思わず目が留まりました。




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牧之通りの街並みと雁木の通路

通りの景観整備に当って決めた重要な共通ルールがあります。それは
『沿道を民地側へ2mセットバックし、その場所に雁木の通路を設置する』ことでした。
この雁木通路は通りの景観を縁取りのように整え、また降雪期には雪よけ歩道にもなります。
雁木通路と車道との間には、3.5m幅の石畳の歩道もあります。


街中で重厚さが目立った家並み

上の画像の家並みを別の角度から



視察するメンバーの皆さん。歩道は本物の石を使った石畳。
歩道の設計荷重は車両の進入を考慮し、20トンとのこと。


デザインルールとして・・・
屋根形状は切妻、色は黒か焦げ茶系。
外壁は白、茶色の土壁色。


統一ルールを守りながらも、同一形状・同一色の建物が並ぶ訳ではなく、
各店舗が工夫して個性を出していて、
それが統一と自由の共存を感じました。


落ち着いた風格を見せる店舗の塀と雁木通路


通りは、やや通りの中央部に向かって
拝み勾配の緩やかな道路縦断勾配がついていて、
それが街並みに変化を与えています。



貝瀬さんの説明を聴くメンバーの皆さん。
背の高い門は街歩きの人々に解放感を与えてくれます。


塩沢信用組合は2階建ての真四角の建物をご覧のように改築。


 塩沢信用組合の建物内のホールには地元の織物を始めとする産物が展示され、ちょっとした地場産の物産展示・直販センターのようでした。休憩室もあります。土日には銀行職員さんが交代で来場者に対応し、お茶のサービスなども行っているとのことです。
 区域内にある郵便局や銀行などのサービスを営む業種が街づくりに賛同し、積極的に協力している状況を見て、住民、行政、店舗や企業、それぞれが協力し合って共存共栄する事、これが街づくりの基本姿勢であると実感した光景です。



緩やかな縦断勾配がある大通り。

 通りの中央部が縦断勾配のピークになっていて、また平面線形も緩やかなカーブになっているので、どの場所に立っても大通り全体の見通しが利かず、その形状が「あの見えない辺りにも行ってみよう」と言う好奇心を引き出します。



複雑な構造の門が個性的です。
通り沿いには樹木が少ないので、
このお宅の松の木が目立ちます。

3.5mの自然石の歩道
街路灯は雁木の下にあって、
歩道にはありません。
街路樹の量も少なめで、
歩道空間が伸び伸びとしています。


街中に未対応家屋がありましたが
協力を強要はしないとのこと。





歩道わきの櫓は何でしょう?
答えは→こちら


一際高い建物。
平らな屋根を切妻にしたとのことです。
デザインルールとして高さは11m以内。


郵便局も賛同


個人の住居


信用金庫の入口
分厚い蔵のドア風に仕上げました


塩沢信用組合付近の雁木通路


2mのセットバック空間に雁木を設置


黒色の雁木
一時期全国各地で流行った
アーケードのような圧迫感がなく、
上品さが漂っています。

雁木建築費用分担は
1/3=県(新潟県)
1/3=市(南魚沼市)
1/3=個人
総事業費=1億8,400万円
(H14〜H21)


焦げ茶色の雁木。


雁木


間口の広い店舗が並びます

側面にも工夫が凝らされて、和風の高級料理屋さんのような風情です。


間口が広い店舗が並びます。
小布施町や伊勢崎境の街中のように、間口が狭い町屋造りの街並みと対象的です。



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街中で見掛けた店の看板や公共物、小物

デザインルールでは使用できる色は黒か焦げ茶色、幟旗は原則禁止。

書に目が留まりました。



 鈴木牧之の生家は敷地が広大だったようで、このお宅だけじゃなく、何軒もがその敷地内にあるそうです。と言う事で「生家」はこのお宅だけではないのですが、間違いでもないのでOKとのこと。
 くれぐれも、本家争いなどに発展しないように・・・


蕎麦屋さんには和風がピッタシ


ひっそりと奥まった所にある看板






照明付き




美容室
「髪結処」との表現が面白い。

【看板】
 看板は店主に取って、強力な主張ですか、それとも謙虚な案内ですか?お客の立場からするとどちらが好感度が高いでしょうか。
 強力な主張とすると、「私が、私が・・・」と人を撥ね退けてでも前方へ出たがります。その結果、建物よりも目立ってしまう看板塔が出現することにもなります。
 実際、巨大で目立つ看板を頼りに店を探す人はどれだけいるのでしょう。塩沢の街は、通りの傍に立った時、視野の中に煩い看板は一つもなく、それが街に落ち着きを与えていました。

クロネコヤマトも賛同


個人のお宅の郵便受け
他にも何軒かのお宅でこのような郵便受けを取り付けていました。
手作りでしょうか。










信用金庫の暖簾


赤い色が気になりましたが
拉麺家の表現が面白い。


日本酒も「和」が合います。


この写真は看板の紹介じゃありません。
昼食を食べた蕎麦屋さんです。


歩道わきの消火栓を櫓でお化粧


積雪記録。昭和58年に3.7m。
3.7mと言うと家がスッポリと埋もる?


積雪記録を指差すカマキリ
こう言うユーモアは大歓迎


公衆トイレ(↓)の標識


女性用は織姫、男性用は彦星




この書体は何でしょう?
また、何と読むのでしょう?
木の形状と書体が目に留まりました



【書体】
 和風の街並みの看板で使用される書体は、勘亭流、隷書、行書、およびそれらの分派が主流のようです。これらの書体は街並みに融け込んでいましたが、書家の達筆な字でなくとも、手書きの直筆を元に看板にしても、その店の店主の顔が見えて、また親近感が湧くように思います。

【看板の材料】
 暖簾を別として、看板は全て本物の木材に刻まれていたようです。メインテナンスが大変とは思いますが、このような「本物」の材木の質感が、和風街並みには必須と思いました。

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街中の小路、寸景


家と家の間の通路


家と家の間の通路脇
ちょっとした庭園が作られています


奥の木戸へ通じる通路に立つ門

大通りに直交する道路。
ここもゴミなど一つもありません。


雁木の下に置かれた木のベンチ


木の枝で作られた球形の飾りが
雁木に下がっています

大通りに直交する小路
ゴミ一つ落ちてなく、整然としています。


いくつかの店舗が集まった小路


大通りに直交する小路。
木製の塀と壁の色、石畳が
茶色系で調和しています。

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街中のオープンガーデン


通りから一歩住宅に足を踏み入れるだけで、
ごらんのような落ち着いた佇まいの和風庭園を見学できます。


木戸までの空間を庭園に仕立て上げていました。
開閉はできないようでしたが、道行く人へのこのような配慮が嬉しいです。

お店の奥座敷から眺めた和風庭園


小路の脇のミニ庭園



小布施町同様、塩沢地区にもたくさんのオープンガーデンがありました。
時間の都合で全てを見ることはできませんでしたが、オープンガーデンは街づくりの重要な要素です。
 以上、「三国街道塩沢宿 牧之通り」の街歩きレポートです。
 この視察を通じて、またたくさんの事を確認し、たくさんのことを学びました。

 小布施町のように「町屋造りと葛飾北斎」を生かした事、栃木市のように「蔵と水運の歴史」を生かした事、そしてここ雪国の歴史を生かした「三国街道塩沢宿 牧之通り」。どの街も過去の歴史を見直し、「自分らしさ」を追及して蘇らせた事に共通点があります。そして過去の歴史を基盤にしたことから、建物や街並みは当然「和風」になり、今回もまた日本古来の「」について考えさせられました。

 我ら伊勢崎市もそうですが、現在は全国津々浦々、無国籍の住宅地や商店街が広がり、昔ながらの和の風景は消え去りつつあります。材料の強度や重量、耐火性などを工業製品に頼った結果、より軽く、より安く、より強く、より機能性に優れた工業製品に置き換えられ、これらの観点で劣る昔ながらの木や竹、藁や麻、布、紙などの自然素材が消えて行きました。
 費用対効果を厳命として歩んだ結果なので、この現状はむしろ目的であった訳で、今更批判されるべきことでもないのでしょうが、その姿勢によって失ったモノも少なからずあるようです。小布施や栃木を視察した時に感じたその想いを、今回の塩沢地区の視察で、また改めて感じた次第です。
 その失った「モノ」は単に風景や機能などの物理的なものだけで、日本人としての自信やアイデンティティーの喪失ではなかったと信じたいものです。(2011/10/27 記)


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