伊勢崎市の歴史  [ Home ]


遺跡と古墳建造物遺産

 このページは伊勢崎市の歴史に関する記事を適宜掲載して参ります。それらの部分的な記事がいつしか繋がって伊勢崎の過去から現在、そして未来が見えてくれば幸いです。 (2008/6/26 記)




1601年 伊勢崎藩初代藩主・稲垣長茂による街の骨格作り
(この記事は知人のKさんが取りまとめました )

 現在の伊勢崎の街の基本的な骨格は、1601年、稲垣長茂(いながきながしげ)が上野(こうづけ)伊勢崎藩初代藩主として入城し、城下町の割り振りを行ったことによります。
 中核となる陣屋は広瀬川を西の要害として、北小学校を中心とした一帯に置かれ、町屋として新町・本町・紺屋町・西町・川岸町が置かれました。これらの各通りの形状・幅員は現在もほとんど変わっていないことがわかります。また細い街路や街区の形状も変わらぬ形で受け継がれています。

 その後、第二次伊勢崎藩として、酒井忠能が稲垣氏の城下町づくりを完成させています。
 1681年から酒井忠寛による第三次伊勢崎藩が成立し、明治維新まで続きました。

 このようにして、今の街は400年もの長い歴史の上に築かれていることがわかります。

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 この地図は、JR伊勢崎駅南側市街化地域(曲輪町、大手町、本町、三光町)の伊勢崎市現況図と約200年前(寛政10年、1798年)の伊勢崎町古図を対比したものです。なお、現況と古図とを可能な限り重ね合わせましたが、かすかな不具合は生じていると思われます。



 稲垣長茂(いながき ながしげ)

 天文8年(1539年)〜慶長17年(1612年):没年74歳
 上野(こうづけ)伊勢崎藩の初代藩主。鳥羽藩稲垣家初代。戦国時代の武将。各地を転戦して武功を挙げ、上野国(こうづけのくに)大胡城を守備する。上野国山田郡、勢多郡など3郡において3,000石を与えられた。慶長6年(1601年)に上野国佐位郡(さいぐん)で加増されて1万石の大名として諸侯に列し、伊勢崎藩主となった。墓所は伊勢崎市昭和町の天増寺
 詳しくはウィキペディア等を参照してください。





 本丸辺りが現在の北小

 [北小アーカイブス・130年の歴史] 



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 古図の紺屋町と新町(現在の大手町辺り)のクランク状の道路形状は「雁木折り(がんぎおり)」と言い、当時、敵の攻略を防ぐための戦略上の理由でこのような形に造られたとのことです。現在はS字カーブになっていますが、面影を残しています。



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