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伊勢崎市内の古い建造物を紹介します|建設用語集



更新日:2011/3/26 ●画像をクリックすると大きな画像が表示されます。画像下の日付は撮影日
旧 群馬県蚕業取締所境支所(境町) 赤レンガ倉庫(境町)
東武伊勢崎線、街中に残る人と自転車の踏切 (旧)東武伊勢崎線・木造の新伊勢崎駅
(旧)伊勢崎駅・木造駅舎 日光例弊使街道・織間本陣跡(境町)
JR両毛線・国定駅の木造駅舎 スバル360発祥の地・富士重工の赤レンガ屋根
橋(古い鉄橋やレンガ橋) 赤石学校(現北小)130年誌
旧時報鐘楼 郷学・五惇堂跡
 旧森村家住宅 旧伊勢崎市・街中風景(遺産的建造物)
大谷石の建物 境・街中風景(遺産的建造物)




旧 群馬県蚕業取締所境支所(境町)  地図を見る▲ページTopへ
簡単な履歴
●1927(H2)竣工
●1958(S33)民間会社へ払い下げ
●2004(H16)、境町が東部電気株式会社から購入。現在は伊勢崎市所有。
※2007/4/7現在、立ち入り禁止ですがフェンスの外側からも良く見学できます。

東から概観 (2007/4/7)

正門両脇のサクラが満開
目の前の電柱がちょっと残念ですが。 (2007/4/7)

「東部電気株式会社」の表札
(2007/4/7)

東の正門から
(2007/4/7)

南側から概観
(2007/4/7)

玄関のステンドグラス
当建物自身や赤城山が描かれています(2007/4/7)
赤レンガ倉庫(境町)  地図を見る▲ページTopへ

庇が新しい
(2007/4/7)

概観と隣接の公衆トイレ
南側は舗装された広場になっていますが
207/4/7日時点では立入禁止でした。 (2007/4/7)



秋には蔦が建物全体を覆います。
2009/9/13

2007/4/7



公衆トイレも本体と調和した
デザイン。
休憩所もあります。
(2007/4/7)

赤レンガ祭り 2007/10/28

赤レンガ祭り。 レンガを覆うアイビーもレンガ色に紅葉。
2007/10/28
日光例弊使街道・織間本陣跡(境町) 地図を見る▲ページTopへ

織 間 本 陣 跡

 旧例弊使街道、境宿織間本陣は寛文二年(1662年)に伊勢崎藩士鶴田弥太郎氏の家を当地に移築したもので、わら葺平屋建ての主家と片袖付門構えは古い建築様式をそのまま残し旧本陣として境町の町指定史跡であった。本陣跡の建物は門をくぐり大玄関を上ると九個の室を配し、広い土間(ダイドコ)や貴賓の上座の間を有した。
 上座の間から見る中庭には見事な松樹があり来遊した江戸の学者、古賀侗庵は織間本陣を蒼松幹と命名し、また文学の名をもって有名な安中城主板倉甘雨亭候はここに御小休されたときこれをほめ讃えて蒼松幹の軒記を書き与えたのである。
 本陣は例弊使街道を上下する諸大名をはじめ、とくに毎年四月京都より下向する例弊使や公卿門跡衆の休泊を主とした。そのとき門前に掲げた関札と呼ばれた泊り札が現在も五十余礼保存されており、当時の面影を残している。
 寛政三年(1791年)四月十二日、小林一茶は江戸から信州へ行く途中、織間本陣の家主である俳人専車を訪ねたが不在で会うことができなかったので
  - 時鳥我が身ばかりに降雨か -
の一句を残して立ち去ったことが一茶の帰郷日記に書きとめられている。

境町教育委員会


織間本陣跡の石碑
一茶の句が刻まれています
2009/7/25



織間本陣跡の説明板(内容は左に転記)
2009/7/25




伊勢崎駅・駅舎  地図を見る  ▲ページTopへ
 平成22年(2010年)6月にはJR両毛線の高架化が完了します。その時点で現在の木造の駅舎がどのようになるのか詳しくは分かりませんが、少なくとも現在の場所に残ることはなさそうです。
 JR両毛線の高崎駅、新前橋駅、前橋駅、桐生駅と主要市の駅舎が次々に改築されていく中で、最後まで木造の地上駅として残った伊勢崎駅、メモリアルのために画像で記録しておきたいと思います。
 伊勢崎駅周辺開発のページにも、適宜掲載してありますので、ご覧ください。

さよなら木造・伊勢崎駅舎
■住所:伊勢崎市曲輪町
■伊勢崎駅の開業:1889年(明治22年)11月20日
■駅舎の竣工:1934年(昭和9年)
■構造:木造平屋建て一部2階

メモ:2006年の映画「嫌われ松子の一生」(中谷美紀主演)でロケに使用。

2007/10/7



南側から。駅の西側は駐車場になっています
2008/8/30



良く見ると、窓がステンドグラスのようになっています。
2008/8/30

新旧交代風景。
現在の駅舎の北側に高架橋建設が進み、
高架橋の上では駅舎の鉄骨建方が始まりました。
2009/7/4


空が爽やかに晴れ渡っていました。 2008/11/23


東側から。
サイクリングの途中、
この立ち食い蕎麦屋さんに立ち寄ることがあります。
これがまた旨い! 2008/8/30


南東側から 2008/8/30
スバル360発祥の地・富士重工赤レンガ屋根  地図を見る ▲ページTopへ

2007/10/7

2007/10/7
 下記に現地案内板の記事を掲載します。

 富士重工業株式会社 旧伊勢崎製作所第二工場は、1912年(明治45年)に旧上毛撚糸の紡績工場として建設されたレンガ造り鋸屋根構造の建物です。1943年に富士重工の前身「中島飛行場」に売却され、戦後は富士重工の生産工場としてバス、コンテナハウスの生産に活用されました。昭和30年代始め、モータリゼーションの先駆けとして世界的に評価された軽自動車「スバル360」を最初に生み出した工場でもあります。このレンガ壁は第二工場の東側の壁面で、竣工当時の状況が良く保たれているため「スバル360誕生の地」のモニュメントとして、また明治から大正期にかけての工場建築の象徴となる歴史的建造物として2003年(平成15年)5月、この地に移築保存されました。

テーブルとベンチ
2007/10/7

鉄の扉 2007/10/7

せっかくの富士重工の好意が心無いいたずらで汚損されたことがあるようです。皆の貴重な財産として大切に守りましょう。
2007/9/24

国民的名車スバル360発祥の地の案内板
2007/9/24



(古い鉄橋やレンガ橋などはこちらへ移動しました)



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旧時報鐘楼

大正4年、三光町出身の横浜の貿易商・小林桂助氏が寄贈した県内最古の鉄筋コンクリート建造物。高さ=14.56m。
赤石楽舎前の広場に建っています。


ライトアップされた時報鐘楼
いせさき燈華会(とうかえ)の日
2010/10/17

2010/10/17

2010/10/17

夕陽を浴びる鐘楼
2010/1/9

2009/9/5

地域交流センター(赤石楽舎:画面左後方)の建設が完了し、鐘楼周囲のエクステリア工事が進んでいます。 2008/9/7

北小学校改築工事、地域交流センター新築工事の工事用ゲート(左端)と鐘楼。完成後は交流センターのシンボルに。
2007/9/9

2006/12/30

2006/10/21

郷学・五惇堂跡

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境町指定史跡 郷学・五惇堂跡

昭和35年3月1日指定

 郷学・五惇堂跡は、始め伊勢崎藩の子弟を教育する目的で伊与久の宮崎有成ら儒者によって建てられた。後に、一般に開放されて庶民を教育した。
 有成は、「此村(伊与久)にして此の学に志厚き輩ある斯の如し、然るにその組織正しからず、又良師に乏しきため不振となるは豈遺憾の至りならずや、往古舜は畎畝の中に生れ、孔子は陋巷に出ずと聞けり、然らば玆に一の校堂を設け、良師を聘し、以て子弟を教育する豈快ならずや」と同志にはかり、上州の庶民教育機関の郷学として五惇堂を創建したが、郷学としては上州で一番早い創建いわれる。
 ここでは、小学・孝経・三字経といった四書五経(儒学書)の素読が主で、他に経典などの公開講釈、講習討論などの教育科目があった。また教育の指針として「孝経」碑を学堂庭前に建立した。
 五惇堂での庶民教育は明治時代になって学制が発布されるまで行われた。

昭和57年3月31日 伊勢崎市教育委員会


史跡は個人のお宅の入口脇に立っています。
案内板の両脇に石碑が立っています。
2008/6/8


伊勢崎藩の子弟が
武士の格好でこの学校に通う姿を想像すると、
時代劇を見ているかのようです。

案内板(内容は↑) 2008/6/8

碑が立っている小路  2008/6/8

大谷石の建物

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 市内で見掛けた大谷石の建造物です。大谷石は機能性や加工性では最新の建築資材には劣るでしょうが、重厚感や温もり、素朴さでは負けていません。徐々に消え去る大谷石の建造物、せめて写真にだけでも収めておきたいと思います。

大手町 2010/5/1


東本町 2009/12/13


JA赤堀町にある大谷石の倉庫。
古びて重量感のあるドアとその鮮やかな朱色、
剥がし切らないドアの目張り、
大谷石の温もりとこの古さ・・・・とても落ち着きます。
2009/9/13



JA赤堀町の大谷石の倉庫
手前の鉄骨の下屋がちょっと・・・・
2009/9/13

三光町 2009/9/19


国定駅の南西にある大谷石の倉庫
2007/10/13



こんなに存在感のあるドア・・・・
なかなかどこにでもありません。
2009/9/13



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旧森村家住宅


白壁の土蔵二棟
2007/12/1


玄関 2007/12/1

主屋(おもや)全体
2007/12/1


庭の南西側にある蔵
2007/12/1

伊勢崎市指定重要文化財

旧森村家住宅

 旧森村家住宅は、享和元年(1801)建築の伊勢崎藩陣屋遺構を取り込み、明治九年(1876)に再建されました。
 森村家は、旗本駒井氏の地方代官を務めた家柄で、約千坪の敷地には、主屋、土蔵二棟、長屋、表門、裏門、馬屋を配しています。
 主屋は二階建て瓦葺入母屋造りで、一階正面に陣屋の式台を配置し、西側には陣屋の書院が移築されています。二階は出し桁造りとしています。大黒柱や差鴨井に残る刀傷は、慶応四年(1868)三月十一の打ちこわしによるものです。
 敷地内には樹齢三百年を超えるカヤをはじめ多数の古木が茂り、屋敷全体が貴重な歴史的空間を形成しています。
  平成十六年十月一日

伊勢崎市教育委員会


南側の正門脇に立つ案内板(内容は左に転記)
2007/12/1

西側を囲う塀
2007/12/1

庭の植木
2007/12/1

南側の表門
2007/12/1




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