Go!伊勢崎 境・街中風景 [ 旧伊勢崎市・街中風景 ]  [ Home ]




町屋造りや洋館、蔵絹の家旧 群馬県蚕業取締所境支所赤レンガ倉庫・・・・境ふるさとまつり

更新日:2010/9/15 ●画像下の日付は撮影日

→境町(Wikipedia)→境町駅(Wikipedia)
 皆さんは境の街中を歩いた事がありますか。

 境の旧市街地に限らず、車社会の地方都市においては、特別の用事でもない限りその街中を歩いてみることはほとんどないのではないでしょうか。それはそこに住む地元の人々でさえ例外ではないでしょう。

 車が人々の足代わりになる以前は、街中の人々は徒歩で、また郊外の人々はバスや電車で街中を訪れ、映画を観たりレストランや食堂で食事を楽しみ、買い物をし、そういう賑わいが街中に活気を与えていました。それはちょうど「三丁目の夕日」の風景で、街中に人々が行き来する温もりのある風景で、主役は「人間」でした。今から4,50年前の昭和時代の風景です。

 現在は移動手段が車に代わり、人々が歩くのは店舗・施設の入口と駐車場の間です。それさえもギリギリで、少しでも入口に近い駐車スペースを探し回る車を見掛けることは度々です。会費を払ってスポーツジムのルームナンナーで汗を流し、でも駐車場とジムへの行き来は最短距離を選ぶ。ダイエットのサプリを飲みながら、スーパーの買い物は入り口真ん前の駐車。こんな滑稽なようなチグハグな光景が違和感なく溶け込んでいるのが地方の車社会です。

 地方都市の街づくりと車社会との関連は切っても切れない重要な関係。

 従来は、都市計画を行う時、車社会の存在は当然の大前提であったと思いますが、それを見直す、あるいは違ったアプローチでの街づくりの流れが少しずつ話題になっています。エコロジーだけでなく長引く不況の厳しい現実もその大きな背景になっていると考えています。

 車を所有しない、通勤通学を自転車やバスに切り替える、ちょっとした距離は歩く・・・こう言った流れの理由は経済的、健康管理、環境保護に参画・・・など様々でしょうが、この不況で車を余儀なく手放す場合も今後は増えるのかと予想しています。

 各家庭で大人の数分の乗用車を所有することが例外ではない地方。購入費だけでなく、車検代、保険料、燃料費、整備費などの維持費が馬鹿になりません。職の機会が減り、収入が半減し、でも自家用車の維持費はその比率では減っていません。住宅ローンと教育費を抱えて複数台の車を所有し続けること、所有しないで済む社会になるならばそちらの方がいいことは言うまでもないでしょう。

 何やら、話が境の街中の話題と少しかけ離れてしまったようですが、このページを起こした背景となる基本的事柄で、また私が常日頃のサイクリングで街中の路地裏を好んで走る志向の説明にもなるので、敢えて書いてみました。

 さて、前置きが長過ぎたようですが、境の街中について。

 私は境の街中にはサイクリングで月に1,2度訪れますが、私の認識では車社会から見事に取り残されたような街並みが至る所に残されています。車社会として開発が高度に進んだ街区と比べれば比較にならないほどの未整備状態と言わざるを得ない状態ですが、この時代、果たしそれが未整備と言う事なのか、今改めて考えさせられています。

 「車に対して不適合」、これは「車」が大前提のこと。「車」社会が下降線の今、「車」が「」に代わるならば「適合」に転じることもあり得ます。車には狭い道幅も、人には十分に広い道幅になります。歩道がない道の隅を、通過車に遠慮しながらサイクリングしている私も、人や自転車が主役の道路が増えればどれだけ快適な事か。
 ヨーロッパの街並みを映像で見る時(残念ながらヨーロッパにもアメリカにも行った事はありません)、車道のない石畳の道路、また、広い道路の真ん中が歩道で、車は脇の道路をギリギリ1車線で通過する風景などを見て、発想の違いに驚くことがあります。
 道路事業の未整備を補う時、従来手法にこだわらず、今までよりも「」に重点を置き、不況と言う理由からではなく、未整備をむしろ優位性に変えるような発想が必要なのかと思っていいます。

 話が突然ジャンプしますが、このページを起こした側面の理由・・・それは、境の街中に残された歴史的建造物があります。


 この点についてはまだまだ知識や見識が不十分で知った風な事は言えませんが、例幣使道や町屋造り、養蚕事業が隆盛を極めた頃の個人遺産、これらの事を少し調べた段階でも、これらが現存していることの貴重さ、また、今後の保存や活かし方などの対策の難しさなど、考えただけでも私の能力の範囲外ですが、それを補うために、現存するそれら建造物や街並みを皆さんに紹介し、一緒に考えるきっかけになればと思っています。
 (2009/9/21 記)


→町屋とは(Wikipedia)→例幣使道とは(Wikipedia)

下記の画像は一部「遺産」のページと重複します。
国道354号通りに面する町屋造りの家々や街中の洋館、蔵造り  ▲ページTopへ
何度訪れても、その度に新たに発見する境の街中の町屋造りの家や蔵。
一体、何棟の建物が残っているのでしょうか。
まだまだ現役で頑張っている建物、少し壊れかけて空家になっている建物、それぞれですが、
長野県の小布施町と負けずとも劣らない歴史を感じるこれらの建物の数。
境の街中の整備を考える時、これらの建物を大切に活かせるならば
きっと特色ある境らしい街並が出現すると想像しています。
(2009/11/27 記)

国道354号から少し奥まった所に建つ蔵
2009/9/26


国道354号から少し退いた場所に建つ蔵
2009/9/26


国道354沿いの共同無料駐車場脇に建つ蔵
2009/9/26


境駅前通りと国道354号の交差点の南に建つ蔵。
真っ白な壁が青い空に映えます。
2009/9/26


アバンセの反対側の国道354沿いに建つ商店
後ろには蔵造りの家
2009/9/26


国道354号から少し奥まった所に建つ蔵。
2009/11/23


レンガ張りの蔵
2009/9/26

国道354号沿いの町屋造りの家
2009/9/26


国道354号沿いの町屋造りの家
2009/9/26


国道354沿いの町屋造りの家
2009/9/26


国道354沿いの町屋造りの家
2009/11/23


国道354沿いに建つ蔵造りの家
2009/11/23


阿原本店。国道354沿い
2009/11/23


国道354から奥まった所に建つ蔵。
煙突は境の街中の風呂屋さん。
2009/11/23


町屋造りの表側を洋風に改造
2009/9/13


町屋造りの家と洋館
2009/9/13



洋館の薬局
2009/9/13


奥まった所にある蔵
2009/9/13


2009/9/13
群銀の駐車場北側のレンガ塀
不揃いのレンガに味わいがあります。


2009/9/13


2010/7/31


店の看板がまさに「三丁目の夕日」
2009/9/13


国道北側沿いの町屋造りの家。
ちょっと朽ちかけているのが残念
2009/9/13


2010/7/31

境町駅前の交差点の東(ガストの西)にある町屋造りの家
伊勢屋さん(和菓子屋)
2009/9/13



ガストの東にある町屋造りの家
2009/9/13



↑の家をガストの駐車場側から。
間口が狭く、奥行きが長いのが町屋造りの特徴です。
2009/9/13



↑の家を正面から
重量感のある屋根、落ち着いた色、格子の窓
2009/9/13


錆びたトタンに関心を抱くのは私だけでしょうか。
2009/9/13


国道から南に入った所にある洋館
南側には焼き饅頭の「大坂屋本店」さんがあります。
2009/9/13



国道北側沿いのレンガ張り建物
2009/9/13


2009/9/13
駅南の小路沿いの家並み
買場(かいば)通り


2009/9/13



2010/7/31


2010/7/31
いかがでしたか?
今まで境の街中の国道354号を通過した人も、車を停めてじっくりとご覧になったことはないのではないですか?
たまには車から降りてのんびりと散歩してみませんか?


絹の家(境図書館の東に隣接)  ▲ページTopへ
この立派な和造りの家屋・・・、
由緒について、後日詳しく紹介します。


絹の家の玄関 2009/7/25


南東側から 2009/7/25



北東側から 2009/7/25

絹の家を南西側から 2009/7/25



母の碑 2009/7/25


2つの碑が建物の西側にあります。
2009/7/25


金子仲次郎顕彰碑
2009/7/25



旧 群馬県蚕業取締所境支所(境町)  地図を見る▲ページTopへ
簡単な履歴
●1927(H2)竣工
●1958(S33)民間会社へ払い下げ
●2004(H16)、境町が東部電気株式会社から購入。現在は伊勢崎市所有。
※2007/4/7現在、立ち入り禁止ですがフェンスの外側からも良く見学できます。

東から概観 (2007/4/7)

正門両脇のサクラが満開
目の前の電柱がちょっと残念ですが。 (2007/4/7)

「東部電気株式会社」の表札
(2007/4/7)

東の正門から
(2007/4/7)

南側から概観
(2007/4/7)

玄関のステンドグラス
当建物自身や赤城山が描かれています(2007/4/7)
赤レンガ倉庫(境町)  地図を見る▲ページTopへ

庇が新しい
(2007/4/7)

概観と隣接の公衆トイレ
南側は舗装された広場になっていますが
207/4/7日時点では立入禁止でした。 (2007/4/7)



秋には蔦が建物全体を覆います。
2009/9/13

2007/4/7



公衆トイレも本体と調和した
デザイン。
休憩所もあります。
(2007/4/7)

赤レンガ祭り 2007/10/28

赤レンガ祭り。 レンガを覆うアイビーもレンガ色に紅葉。
2007/10/28
日光例弊使街道・織間本陣跡(境町) 地図を見る▲ページTopへ

織 間 本 陣 跡

 旧例弊使街道、境宿織間本陣は寛文二年(1662年)に伊勢崎藩士鶴田弥太郎氏の家を当地に移築したもので、わら葺平屋建ての主家と片袖付門構えは古い建築様式をそのまま残し旧本陣として境町の町指定史跡であった。本陣跡の建物は門をくぐり大玄関を上ると九個の室を配し、広い土間(ダイドコ)や貴賓の上座の間を有した。
 上座の間から見る中庭には見事な松樹があり来遊した江戸の学者、古賀侗庵は織間本陣を蒼松幹と命名し、また文学の名をもって有名な安中城主板倉甘雨亭候はここに御小休されたときこれをほめ讃えて蒼松幹の軒記を書き与えたのである。
 本陣は例弊使街道を上下する諸大名をはじめ、とくに毎年四月京都より下向する例弊使や公卿門跡衆の休泊を主とした。そのとき門前に掲げた関札と呼ばれた泊り札が現在も五十余礼保存されており、当時の面影を残している。
 寛政三年(1791年)四月十二日、小林一茶は江戸から信州へ行く途中、織間本陣の家主である俳人専車を訪ねたが不在で会うことができなかったので
  - 時鳥我が身ばかりに降雨か -
の一句を残して立ち去ったことが一茶の帰郷日記に書きとめられている。

境町教育委員会


織間本陣跡の石碑
一茶の句が刻まれています
2009/7/25



織間本陣跡の説明板(内容は左に転記)
2009/7/25




街中で見かけたお店  ▲ページTopへ

街中の手作り豆腐屋さん
正根寺豆腐店さん
0270-74-0842


焼きまんじゅう
大坂屋本店さん



あんこ入り

六味羊かん
栄寿堂さん
0270-74-0266



▲ページTopへ