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天幕城跡(てんばくじょうあと)

(群馬県伊勢崎市磯町293番地1外)
天幕(てんばく)城跡新緑秋の花迅速地図に見る天幕城跡周辺
近隣公園→小菊の里あかぼり蓮園峰岸山へのサイクリング

更新日:2021/5/28、掲載日:2012/2/4 画像下の日付は撮影日
 平成17年に赤堀町・東村・境町・伊勢崎市の4市町村が合併して新しい伊勢崎市が誕生し、赤堀町が加わったことにより、里山風景が一挙に伊勢崎市の財産となりました。50年以上前の子どもの頃から自転車で好んで訪れていた赤堀(当時は赤堀村)や北隣りの新里村(現桐生市)。ペダルを踏む疲れや人里離れた風景の怖さよりも好奇心の方が勝り、ただただ里山風景が続く未舗装の道を、砂利や石ころにタイヤを取られながらブラリとサイクリングしていましたが、その赤堀が自分の住む伊勢崎市の仲間になって、当時を思い起こしながら、新たな親しみが湧いています。

 里山と言っても、後ろに控える山の深さは他地域の山里に比べて小規模ですが、それでも、徐々に赤城山の傾斜に繋がる感じは平坦地の市街地から比べるととても貴重です。
 特に、磯町や赤堀今井町、西野町辺りにはそのような風景が広がり、そのいくつかは城址や城跡、古墳、遺跡になっていますが、この天幕城跡もその一つです。
天幕城址の土居(西側部分)
 現地に立つ説明によれば、
天幕(てんばく)城跡は南北400m、東西120mの自然地形を利用した城で、西側は蕨沢川が流れ、北と東側は蕨沢川の旧河道の低地で城外と距てられている。本丸の北、西面には今も4m程の土居を残している。
 とあり、説明通りの土居(*)が今も残されていて、その土居の上は一年中枯葉で覆われ、歩く事ができます。

 すぐ西側には蕨沢川が流れ、川の流れと城址を遠目に眺めれば、護岸のコンクリートさえ気にしなければ、きっと天幕城があった頃の地形とそれほど変わっていないに違いなく、戦国時代の武士たちや周辺の農民たちが付近を往来していた事を想像すると、またこの場所が不思議な場所に思えて来ます。

 毎年7月に行われる「あかぼり蓮園まつり」、11月に行われる「あかぼり小菊まつり」では多くの人を寄せますが、そのすぐ西側に接する天幕城址を改めて散策している姿は余り見かけません。車で入ることはできませんが、蓮園や小菊の里へ出かけた時には、訪れてみてはいかがでしょうか。(2012/2/4 記)
(*)防衛目的で作られた土塁のこと。

蕨沢川と天幕城址(南西側から)。この右後方が小菊の里がある峰岸山。 2012/1/29



天幕城址全景(南側から) 2012/1/29


天幕城址・全景。横スクロールバーを移動すると全体をご覧になれます。 2012/1/29
 以下、現地説明板の引用です。

 『天幕(てんばく)城跡は南北400m、東西120mの自然地形を利用した城で、西側は蕨沢川が流れ、北と東側は蕨沢川の旧河道の低地で城外と距てられている。本丸の北、西面には今も4m程の土居を残している。
 本丸を中心とした部分に、腰曲輪、水の手曲輪、堀切り、矢払い等の軍事的な構造が顕著に見られる並郭城で、戦国時代の赤城南麓諸城の特徴を良く現し、かつ、その姿を留めている。
 天幕城は那波氏、桐生氏の城となり、ある時は由良氏に攻略されるなど、戦国時代の動乱期の経た後、天正18年、後北条氏滅亡と共に廃城となった。
 天幕城跡は、赤城南麓ひいては赤堀町の戦国時代を解明する上で重要な文化財であり、赤堀町の貴重な文化遺産として、後世に伝えるため、町指定文化財とした。 指定日 平成16年8月10日』

※天正18年(1590年)は秀吉が小田原城を攻め、家康が江戸城に入った年です。

天幕城跡の説明板 2007/4/1

説明板によるとこの辺が「本丸」だったようです。
堤の上を歩けます。2007/4/1

磯沼から全貌。中央の水溜まりは蓮園 2007/4/1


ナズナが群生する天幕城跡の東側斜面 2007/4/1

春、新緑に包まれる天幕城跡

掲載日:2021/5/28 ▲ページTopへ
 「あかぼり蓮園まつり」や「あかぼり小菊まつり」、また「磯沼公園」や「峯岸山」へ出かけた時など、何かのついででもないと、なかなか訪れることがない天幕城跡。この日も峯岸山へ出かけたついででした。いつもならば素通りしてしまうところですが、この日は西側に広がる麦畑の効果も加わってか、新緑が特別に爽やかに見え、道草を誘われてしまいました。
 また、今まで、知っていたようできちんと知らなかった「天幕川」と「蕨沢川」の合流部が、天幕城跡の北西角であることも確認しました。天幕城があった時代においてもこの2つの川の位置が余り変わらなかったとすれば、川は濠の代わりとして、城築造の地理的条件になったのだろう・・・等と空想を働かせてしまいます。そう言えば、「赤堀城」(伊勢崎市赤堀今井町)もすぐ西側に粕川が流れています。(2021/5/28 記)

新緑に覆われる天幕城跡(西側の麦畑から) 2021/4/27

青空と新緑、天幕城跡(北西側から) 2021/4/27


蕨沢川と天幕城跡(北西側から) 2021/4/27

天幕城跡の北西角では、天幕川と蕨沢川が合流 2021/4/27

秋・彼岸花

掲載日:2013/10/1 ▲ページTopへ

縁が曲った水田や脇を流れる小川、段差が続く田畑、天幕城跡の土塁や樹木、高い青空、
これらの昔懐かしい景色に真っ赤なアクセントを加える彼岸花 2013/9/29

→彼岸花散歩


天幕城跡のサルビアポーチュラカ

掲載日:2014/10/1 ▲ページTopへ
 「赤堀蓮園」が大勢の人を寄せる頃、蓮園西隣の天幕城跡斜面では、ポーチュラカやサルビアが夏から秋にかけての開花を待って、少しずつ成長しています。
 まだ花芽も出ないこの頃には立ち止まって眺める人も見かけませんが、開花時期には斜面全体を花で埋め尽くします。「小菊の里」や「蓮園」のように、開花時期を目当てに訪問する人が少ないのが残念ですが、そんな人知れずにひっそりと咲く花を愛でるのも贅沢な気分です。
 訪れたのは9月21日。ポーチュラカは時期を過ぎ、サルビアはまだ見ごろでしたが、今頃は既に峠を越したように思います。紹介が少し遅かったようです。(2014/10/1 記)

赤堀蓮園(右側)が見ごろの頃の天幕城跡斜面(左側)
2014/7/21

天幕城跡の斜面を真っ赤に染めるサルビア。後方は磯沼の桜堤。 2014/9/21

掲載日:2007/10/14 ▲ページTopへ
 「小菊の里」の山の斜面が色とりどりの小菊で覆われる頃、天幕城址の東側の斜面でも花が咲いています。今年は斜面の南半分に白やピンクのポーチュラカが、北半分に真っ赤なサルビアが咲いていました。「小菊の里」から徒歩5分ほどの天幕城址、ぜひ訪れてみてください(2007/10/14 記)


白とピンクのポーチュラカ 2007/10/13

天幕城址入口のサルビア 2007/10/13

天幕城址のお花畑全景 2007/10/13

迅速地図に見る天幕城跡周辺

(迅速地図:明治13年(1880)〜明治19年(1886)に作られた地図)
掲載日:2021/5/28 ▲ページTopへ

迅速地図に加筆(白抜き文字)。
※加筆部は私(丸男)が加えたもので、正確である保証はしていません。



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